4年ほどまえから関東で暮らし始めて、一番よかったと思える点は、都内で行われる展覧会に、思いつきレベルの気軽さでいけるようになったことでしょうね。
ロシア・アヴァンギャルド、モスクワ市美術館展。
今日行ってきました。
http://wwwz.fujitv.co.jp/events/art-net/go/625.html
アヴァンギャルド、すなわち前衛的芸術の展覧会でした。
1900年代のソ連、世界史でいえばロシア革命をはさんだ前後あたり、建築史でいえば、最後の弦音でも書いた、ロシア構成主義の前後あたりの年代をターゲットにした、絵画展でございます。
旧ソ連が好きな私としては、まさに直球ストレートでした。
同じ芸術だけあって「建築」と「絵画」、さらにいえば「彫刻」はお互いに密接なかかわりあいがある、ということができます。
例を挙げてみますと、ちょうどロシア構成主義と同時代に、オランダでデ・ステイルという建築運動が起こっております。
これは同時期に各国でおこっていたことではありますが、あの女性の髪のような、はたまた植物のつるのような流線型を主流としたスタイル、アール・ヌーヴォーに対抗して、かなり端的に申せば、それと相反するスタイルとして幾何学を尽くしたデザインを主流としよう、という運動でありました。
総括して、モダニズムといいますが、それの1つの流れとしてオランダで生まれたスタイルを、新造形主義、通称デ・ステイルと呼びました。
この際にもピート・モンドリアンという画家のスタイルの持つ特性が、建築史上においても重要なポイントとして、語られています。
モンドリアンの絵はたぶんどこかで見たことがある人が多いでしょうが、見れば「あぁ幾何学だ」と思い、納得するでしょう。
旧ソ連におけるロシア構成主義を語る上でも、画家の存在とは重要なものでありました。というより建築家自身が絵画活動をやり、自分の設計の方向性を模索していたとみえて、展覧会にはウラジーミル・エヴグラーフォヴィチ・タトリン、アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・ヴェスニン、ラーザリ・マルコヴィチ・リシツキーなど、ロシア構成主義を代表する建築家の絵もありました。
どうも前のモディリアーニ展以来、展覧会の見方が私の中で変わってきているようで、今回もちょっと感想じみたものを述べてみようと考えました。
イメージをアップできれば一番いいのですが、規制がよくわからないので、興味があれば挙げた絵をどこかのサイトでご覧いただけるといいと思います。
この時代の主流の絵画に共通する点は、農村や民衆の姿を、素朴な表現、明るい色彩、線の強調などの意識の元に描こうという点、また、機械美学の熱烈な心棒でありました。
またそれらの要素と、キュビズムとが混合された絵画が多くあります。
キュビズムとはすなわち、ピカソのような絵です。
立体をムリヤリ二次元にしたような奴ですね。
だからこの時代の絵は、全てラインが角ばっています。
色んな色の破片を張り合わせたような、というのが一番適切な表現であるようです。
興味深いことに、この時代旧ソ連で活躍した画家に、マルク・シャガールがおります。
彼は後に外国に亡命したもので、彼の旧ソ連時代の活躍はあまり知られていないそうで、今回初めてみた感じです。
まぁ彼の絵も含め、全体の絵を見た印象を述べますと、最初に述べたように、確かに最初の方の時代は明るい色彩が用いられており、極めて鮮やかでありますが、年代が続いていくにつれ、どんどん全体の色彩としては暗くなっていっている感じを覚えました。
たしかに鮮やかな色は用いられているのですが。
しかし、これは考えてみると当然のことで、この時代のはるか先を見据えてみると、終点ではないにしろ、そこにいるのはあの、ロシア構成主義であります。
前の絵ではありますが、これはラーザリ・マルコヴィチ・リシツキーの「レーニン演説台計画」の模写であります。
みて分かるとおり、この計画の根底にあったのは、「徹底した幾何学により構成される物体に対する、並々ならぬ賛美の情」、であります。
そう、彼らがいる時代の先には、ずばりこれがあるのです。
すなわち彼らは、人間性をまったく欠いた機械へ向かって、すすんでいる。
彼らは最初の方針の通り、機械化された社会の心棒を貫いているわけで、それは必然的に「明るい色」ではなく「暗い色」、さらにいえば「冷たい色」へ続いていくはずです。
だから彼らの作品は明るい色彩で構成されつつも、その実はどんどんと冷たい物へと完結していかざるをえない。
人によってはそこに矛盾を感じる人もいるかもしれませんが、少なくとも私にとっては、この「明るさ」と「暗さ」が共存し、見事調和したこの時代の作品が、かぎりなくGood!!!です。
機械につながるだけあって、だんだんと鋭い、キレのある線の描写が多くなっていくのがわかりましたが、ある娼婦を描いた絵に
「鋭い線は、娼婦の年取った体のラインも容赦なく表現する」
とありました。
まさにそのとおりで、そこに、潜在的な機械の残酷さを感じました。
これとは別に、ゆくゆくは機械につながっていくという予感を感じさせる要素が、もう1つあるように感じました。
陰、であります。
じゃぁ、この特有とも言える暗さはどこから出てくるんだろう、とうろうろしながら考えてみたのですが、やはりそこにあるのは「陰の表現」ではないか?とおもいあたりました。
例えばシャガールの作品にはよく見られると思いますが、彼が表現する陰は、とてもねちっこい、まるで光の加減からできたものではなく、そのもの内部からジンワリとにじみ出てきているかのような、黒です。
嫌な言い方をすれば、その物質にはびこる、みずみずしい黒カビのようなイメージで、こびりついています。
他の画家の絵についてもそれはいえることですが、だがしかし、こんなにもあまりキレイとは言いがたい陰の発生のしかたなのに、その陰はまるで金属のきらめきのような、宝石の破片のような光沢のある質感をこちらに投げ込んできます。
例えば、アリスタルフ・ヴァシリーエヴィチ・レントゥーロフの「女たちと果実」は陰のみではなく、まるで全体が様々な色をした宝石で構成されているかのような作品です。
しかしこの作品以上にこの陰の質感が特徴的だったのが、ニコ・ピロスマニです。
ニコライ・アスラノヴィチ・ピロスマナシヴィリ。
通称ニコ・ピロスマニは元々看板のデザインをしていたのを、「発見」され、画壇に登場したのですが、彼の陰ほど、粘着質のある陰は他にありません。
看板屋だったこともあり、使う色を制限していたようですが、彼の絵に出てくる人物は大体が白い顔と、黒い眉、黒い目、黒いヒゲがくっきりと描きわけられており、まるで死体のような顔色にみえます。
陰とかヒゲとかいうより、まるでキャラクターにこびりつき、むしばむ黒カビのようです。
「漆黒」とは、まさしくこの色のことでしょう。
なんでもその中に吸い込んでしまうような、完璧な闇です。
その中に青白い顔、手、机が、ボンヤリと、まったく人間性を欠いた存在として浮かんでいる。
また背景がこれまた薄暗く、大体の絵が、黒い空が、下方からのぼる太陽で、ぼんやりと中央あたりが明るんだようなイメージで描かれており、結局最後には全体を、人を、机を、動物を、そのしっとりとしたなんでも吸収する闇につつみこんで完結する。
彼の絵の中にはそんな、極めて強い「自己完結性」が感じられました。
これは私の考えでは、ながらく看板屋として絵を描いていたせいかと思われます。
看板はそのメッセージがストレートに、わかりやすく伝わらなくてはいけないので、その中に謎をはらんだ発展性など無用です。
そのクセがおそらくは、出ていたのかもしれない。
彼の絵の中の人物、もしこの青白い顔色がこうも鮮明なはっきりした物でなかったとしたら、彼の絵は極めてボンヤリとした、薄暗いイメージになっていたでしょう。
この、くっついている対象をはっきりと浮かび上がらせる陰、そしてまるで宝石のようなするどい輝きをもつ陰。
このイメージが私の中で、機械のもつ鋭いイメージとかさなった。
この陰をもっと表現手法に注意して見てみると、そこに共通した手法が見られました。
手法というほどアレではないですが、つたない観察から愚考するに、このにじみ出る陰は、暗い色から明るい色へ一気にグラデーションを飛ばしているせいかと思われます。
カジミール・セヴェリーノヴィチ・マレーヴィチの絵をご覧いただければ、すぐわかります。
「収穫」「冬のモティーフ」「刈り入れ人」あたりでしょう。
そこにビビッド・トーン→ペール・トーン。またダーク・トーンから同じくペール・トーンへグラデーションがなされています。
このせいで明るい色に対して暗い陰が極めてぼんやりとみえるのでしょう。
シャガールにおいても、この特徴は見られます。
もちろん他の画家にも。
ただ、やはりマレーヴィチ、ピロスマニがより特徴的でしょう。
こうして隆盛をつづけた画壇でしたが、スターリンの登場にいたって雲行きがあやしくなってきました。
これまで奨励された抽象的表現を否定し、写実的表現、つまりありのままを写真のように描写する事、を強制する動きが出てきたようです。
そして1920年半ば以降、旧ソ連はリアリズムへ歩みはじめた。
そのためか、シャガールやエクステルら、数人の画家は海外へ亡命しております。
こんなとこにはいられん、ということでしょう。
それ以降、ロシア構成主義は海外で成長していく形になります。
では旧ソ連内の文化は?
このころ旧ソ連内には、
「文化を産業に!」
というスローガンがかかげられ、個人主義は否定されていきます。
すなわち、芸術は、金になるものに、また独裁者スターリンの権威を象徴するためにされるべきである、という流れが出てきたものと思われます。
建築、陶器、ポスター、服飾などに、芸術はシフトしていったようです。
この時代に国内で描かれた絵には、周りを機械に囲まれ、ツナギを着たなんとも無個性な労働者がただ黙々と働く姿が表現されております。
ただただ、権力に従う姿です。
その表情を見てみると、うっすらと、本当にうっすらと笑みを浮かべている。
むりやり強いられて表現された、作り物の幸福を表現しているのでしょう。
構成主義の時代を代表してきたマレーヴィチでしたが、多くの画家が絶望して亡命するなか、彼はソ連内に止まった人間のうちの1人であるようです。
展覧会の最後を飾っていた絵は、かつての面影をまったくなくした、彼の絵でした。
おそらくは権力に屈して、人物画を写実的に描いている、彼の作品・・・。
「マレーヴィチは、国内で芸術を続けていくしか自分に道はない、とわかっていた」
ちょっと間違っているかもしれません、うろ覚えですが、展覧会の最後に刺してあった言葉は、たしかそんな感じでした。
彼の画風の変化をもって、旧ソ連におけるスプレマティズムは終焉をむかえたのでしょうか。
流行とは、かようにもあっけないものです。
・・・しかし文字ばっかです。
これ最後まで読んだ人、すごいカモ。
最近のコメント