ГОВОРИТЬ( こと )

2009年11月 7日 (土)

奇跡を見たかい?永遠を見たかい?

久方ぶり。いろいろと筋肉痛ですが。脳みそとか!

『なんのなんの!“剣はすなわち凶盗使う”』

略してぬけの作蔵です。

前も一回嘆いた気がしますが、最近の若者は旧ソ連の国家保安委員会KGBすら知らないのです。

FBIを警視庁みたようなものと誤解するくらいならまだよし。

SISをシックスとか呼ぶくらいなら笑って屠りましょう。

奢るんじゃないよ。屠るんですよ。

え?イギリスはIMF(=Impossible Mission Force)じゃないの?とかいうくらいなら!これはむしろトモに語りたいですけど。

ただKGBとCIAが・・・っていうとキョトン!としている輩があまりに多すぎる。

冷戦時代という言の葉を響きだけで知っていながら、同時代がKGB・CIAの最も激しい情報戦の時代であったという事実、というかこの時期軍人よりも血を流した人間の存在、名前すら知られず葬られた場所を家族すら知らない存在、これを知らないという。

デタントの裏にいた人物の名前すら知らない。

オレグ・ペンコフスキーすらしらない。

マこれはいいですけど。

でもせめてKGBくらい、カーゲーベーって響きくらい知ってないと、ちょっと恥ずかしいと思います。ロシアのナニカだなーってくらい知ってないと。

下手したら歴史の教科書にも出てくる名前ですよ!

テレビ画面みながらリモコンみたいなの振ってないで、もっと世界をみましょう!

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2009年10月15日 (木)

もしも僕がいつか君と出会い話しあうなら、そんなときはどうか愛の意味を知ってください

ヘイユー

『鳴り響け俺のメロス』

ぬけの作朗でごす。

ごわす。

みなさまが絶対こいつは取り上げるはずだという期待をしてらっしゃると思いますので、しょうがなくこの話題です。

ベニト・ムッソリーニが一時期英国のスパイだったそうで。

ヒトラーは「ユダヤ人疑惑」、東条氏は、マいいや。

などなど!?当時の三頭は全員スキャンダルが出てきたわけですね!

にしても英国スパイとはねぇ・・・MI6のアセットだったとは・・・しかも担っていた役割を読む限り、相当の地位じゃないですか。

二次大戦のとき、それをネタにしてさっさと失脚させることもできたんじゃないのカナ・・・とかシロート意見を言ってしまいます。

そんな簡単な問題じゃないでしょうけどね。

甲殻機動隊で、鉄のフックが肩甲骨まで伸びてるあの人みたいな風貌した、ムッソリーニがねぇ。

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2009年9月19日 (土)

歳をとろう。風のように軽やかに、そして楽しいことをしよう。

どうも。

『「矯めつ眇めつ」

色々な向きからよくよくみる様・・・だよ。

教育の無さは如何ともしがたいな』

略してぬけ作です。

毛利のおっちゃん降板ですってね。最近は観ていませんが、未だにコナンくんによる推理の声あてはおっちゃんが多いんでしょう?やばいですね。

変われる声といえば千葉繁くらいのものでは。マこのさいドラえもんみたいにいっきに変えてしまうか?

あえて若本さんでいくとか。

エレガント路線は似合いませんかな。

さて今更シリーズ第二段ですが。一段はわすれました。

いまさらポルノがいいと感じて、アルバム借りて聴きだしたりしだしました。

ていうか昔から数寄でしたけど、アルバムを借りるまでいかないのが私なので。

ロックだけど(本当のところはしりませんが)、どこか物悲しい色をもったバラードにもきこえて、ゆさぶるドラムの中にどこか哀愁を感じるところがとても静かな感じがしてグッドでした。

きほん静かなのが数寄です。

で新目のベストに「横浜リリー」がありますね。

あれがなぜか、とてもぐっとくるわけです。

横浜のメリーさんがモデルなんだそうですが、歌詞が染みてきます。

あ、そうでした歌詞を改めてちゃんと聴いたのはブルハ以来かもしれません。

基本はBGMとして聴くので、歌声から「言葉」という要素が昇華してしまい、五感では感ぜられなくなって、あとは声がもともと持っている「リズム」を体感するのみとなっているのでしょう。

それとも私の耳朶の奥深くで「言葉」が物質変換を起こして「とろけ」て、「リズム」と混ざり合ってしまった状態で吸収しているのか。

いずれにせよ、リリー女史の存在を歌声の中に強く感じました。

後奏っていうんでしょか、さいごのメロディーのあすこで、ちょっと和風のメロディーが刷きますが、あれでノックダウンです。

やはりだれもが知っている横浜リリー、その人をモデルにしたものだという話、あとその実際の土地に蝸牛の庵を結ぶ私ぬけ作・・・とそういう状況からこの感慨が沸き起こったものとも考えられますね。

マ他のにも手を出してみましょうというところです。

それにしても好きなものだけ追っかけていればいいという考えは捨てるべきである、という意見は24枚の歳の紙をここまで重ねた果てに、漸く思い立ったものでして、はなはだ赤面の体をさらす他ありませんが、どんなに気張ってみてもふつふつ湧き上がる思いに過ぎず、未だに数多の対象にたいして偏見の域を出ません。

鬼来なものは鬼来、数寄なものは数寄とはっきりするのはしようのないことですが、もう少し苦しんでみようと思うのです。

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2009年7月12日 (日)

「くだらねぇ」とつぶやいて、冷めたツラして歩く

アンパ○マン と ざんねんマン その3

ジャム翁が最上階で沈思黙考し、アンパ○マンと、カレーを「調理」して痩身となったカ○ーパンマンが帰途についたころ、食パ○マンはジャム翁の2階くだって位置する自室のデスクで、自身の「守役」から報告を受けているところであった。

メ「いいですか?

正直わが防諜部を動員して、管理官の色恋ザタまで面倒みるなんてゴメンですよ」

食パ○マンに皮肉をぶっとばした、このまぶしいほどの金色したセミ・ショートヘアにグリーンのスーツという格好の女性スタッフ、メロンパ○ナはこの組織の防諜部に所属する、まだ若いが極めて有能な諜報員である。

若干20代にして、工作部門担当副管理官・食パ○マンの日常身辺警護にあたるグループに属していることからも、彼女がいかに優秀であるかがわかるだろう。

むろん組織に所属してまだ日が浅く実戦経験も乏しいので、警護活動中は車内において後方支援にまわっている(本人は、ほかのオトコどもに実戦でもヒケはとらない、と主張してやまない)。

「色恋ザタ」というのは、赤い格好をした不審な女が数カ月前から食パ○マンをつけまわしていることが報告されたことを指す。

現場の工作員上がりである食パ○マンはすぐ尾行に気づいたが、この尾行者の正体はわからないにしろ、まだそう危険な存在ではないとは考えていた。

だがとりあえず、防諜部に調査を指示したのである。

そこで、おむ○びマン率いる防諜部はその女に気づかれぬよう、しかし迅速に、監視の網をかぶせた。

防諜部の撮影した顔写真をもとに組織のメイン・データベースは、その挙動不審な赤女がバ○キンマンの側近であるド○ン嬢であることを突き止めた。

その日から食パ○マン、そしてその「赤い金魚のフン」の周囲を、さまざまな変装をしたメロンパ○ナら防諜部スタッフがすっぽり囲み、完璧な監視体制をしくことになった。

ド○ンが菌類スパイと接触をするかもしれないからである。

防諜部は、国内における敵国スパイの活動を監視・摘発することを主務とする。

そのため警察との間でナワバリ争いに関するイザコザが絶えないが、こと防諜関係に特化すると、両者の優劣の差には霊験あらたかなものがあった。

組織の歴史を考えれば、それは当然である。

戦時中に日本軍内に創設された情報機関の後継組織が、このアンパ○マンらの組織である(便宜上、Bと呼ぶ)。

その中で敵国スパイの浸透防止を担当する防諜部は、その任務の特異性、また在来スタッフの特殊能力ゆえに、組織が再編された際も部局がほぼそのまま新組織へ移管された。

戦前から現在までずっと、リヒァルト・ゾルゲなどに代表される様々な「モグラ」を相手に「影の戦い」に明け暮れてきた彼らは、まさに組織の中でも異能のプロフェッショナル集団である。

警察との間に知識・経験の差があるのは理の当然であろう。

現在、日本国内における浸透工作員の監視・摘発において、B・防諜部の右に出るものはいない。

そんなプロを動員しての調査の結果、ド○ン嬢は単にストーカーのまねごとをしていただけときた。

メロンパ○ナは定時報告と兼ねて、この事実を報告しにきたのである。

彼女は腕組みをした。

メ「あんな目立つ真っ赤っかな色してスパイ行為なんて、おかしいと思いましたよ。

単なる追っかけじゃないですか!」

食パ○マンは思わず苦笑した。

食「実際追っかけてたじゃないか。

じゃ、明日から私は“集団下校”しなくていいわけだ」

メロンパ○ナは、はぁ、とタメ息をつくと、報告書をファイルに綴じて

「いーえ、あのアカ女がいつ“クロ”に変わるかわかったもんじゃないんですから。

もう少し私たちの“輪”の中で行動してもらいます。

いっときますけど、ボスの指示ですからね。

したがってください、ね」

Bは敗戦後に軍部時代の組織とは性格も仕組みも内部構造もすべて一新して現在にいたるのだが、その際イギリスの諜報機関SISを参考にしており、そのためさまざまなシステムやその他の要素がSISと似ている。

たとえばBの活動予算は、それという名目がついて下りてくるわけではなく、外務省や厚労省など他のさまざまな省の予算の中に「その他」などの名前で、紛れ込まされている。

いざ国が「予算をださんぞ」と脅しをかけても、効果がないわけだ。

だがそれらの省との間に、友好な関係を構築しておく必要がある。

そして、この食パ○マンとミス・防諜部との間に見られる親しげな様子もまた、SISに共通するものである。

Bのスタッフはみなお互い、信頼しあっている。

彼らのやりとりは一見、慣れ合いともとれなくもないが、お互い「どういうとき、どうふるまうか」をしっかり心得ている。

この信頼関係は、組織のモチベーションの1つといえる。

だがこの信頼がクセ者となる場合もある。

相手が敵国に寝返っていた場合、信頼をおきすぎてその人間がスパイであると疑うことができなくなる可能性があるからである。

とくに防諜部の人間の仕事は「疑うこと」であるから、彼らはたいへん難しい立場にいることになる。

だから防諜部は、他のセクションと同じく並大抵の精神力をもつ人間では到底やっていけない職務といえる。

食「わかった、わかった。

おむすびのボスによろしくいっといてくれ。

もういいかな、メル?」

防諜部の若きスタッフは、すこしむくれた顔つきでうなずいた。

体が他の女性スタッフにくらべ小柄なために、よく子供扱いされる。

だが小さい体に反して、部内における存在は大きく、やることも多い。

そうだ、ロシアに亡命した元イギリス工作員、N.K.SACKのこっちでの行動痕跡をチェックしなくちゃ。

彼女は急いで空中廊下でつながった別棟の奥にある防諜部へ引き返した。

ようやくメロンパ○ナをオフィスから追い出して、食パ○マンは壁の時計をみた。

もうすこししたら、アンパ○マンが帰ってきてデスクを見、

「すぐ出頭すべし」

というメモを目にして舌打ちをし、こちらへ来るはずである。

食パ○マンは若いころこの組織にリクルートされてすぐ、ソ連担当工作部に所属になった。

それは彼が同期の中でも飛びぬけて「できるやつ」であったことを示す。

ちょうどKGBが当時の国防相ドミートリ・ヤゾフその他と組んで、ゴルバチョフに対してクーデターを起こす数年前であった。

ソ連内にいるBのスパイから、「ヤツェネヴォ(KGB)が政治局に対し、何かやらかそうとしているらしい」という情報も数多く寄せられ、永田町へより確実な情報を上げるために、若き食パ○マンは情報源と会いにモスクワへ潜入した。

そこでの2年間にもおよぶ滞在期間中、彼はさまざまな作戦を駆使して熾烈な情報戦を繰り広げた。

Bの工作員2人、情報源1人が消された。

むろんKGBの被害も甚大なものとなった。

相手は防諜をつかさどるKGB第二管理総局の、1工作管理官だった。

彼は「相当の切れ者」であるらしいという噂以外、顔も暗号名もまったく不明という男で、亡命してきたスパイから引き出した「ウラディーミル」という名前のみがわかっていた。

食パ○マンたちはその謎のスパイの兄貴分を「ウラド」と呼び、戦いつづけた。

だが食パ○マンは一度だけその男の顔をチラリとみる機会を得、彼は脳裏にその顔を焼きつけた。

だが「ウラド」に関する情報はKGB内でも極秘中の極秘であり、ついにモスクワにいるうちは正体をつかむことはできなかった。

そうこうしているうちにクーデターは失敗し、KGBは解体され、ついにソ連は崩壊した。

食パ○マンは本国へ召還され、そこで彼を待っていたのは祝福のシャンパンと昇進であった。

そうして10数年たったある日、彼はオフィスでテレビのニュースをつけた瞬間、思わず凍りついた。

彼が人目みてから1日たりとも忘れたことがなかった顔が、相変わらず凍りついたような眼と凍りついたような笑みをうかべ、演説台の上に立っていた。

彼はその時、「ロシアで最も影響力がある人物」、そして「最も恐れられる人物」となっており、西側諸国は彼に「凍りの微笑」というあだ名をつけた。

ソ連デスクでキャリアを積み、現在の地位を築いたBの誇るベテランのスパイ、食パ○マンが、旧ソ連の元・第二管理総局・工作管理官「ウラド」こと、ロシア大統領ウラディーミル・ウラディミロヴィッチ・プー○ンの顔を見たのは、これが2度目であった。

つづく

※フィクションですよ!

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2009年7月 3日 (金)

鉄砲も兵隊も政治家さえも、いらないよ。君たちが望むのは、自由だけでいいよ。

少しく小休止を見たので、かねてから作りたかったものの、まずは第一弾を作って見ました。

Cimg0014_3

1920年代を代表するロシア構成主義の建築家による、さまざまなアイディアはただみているだけで美しい。

鉄骨やコンクリートのもつ美しさが、ありありと表現されているからです。

それを用いて、Tシャツを作ろうカナとかねがね考えていたのです。

ブルハTシャツは以前つくったけれどね。

昔からCDジャケットを作ってみたり、歌詞カードを作ってみたりするのが数奇だったのですが、今回はロシア構成主義に特化して、一連のものを製作してみたいと思いました。

マ製作っていっても、どこかの専門書からカッコイイ柄を持ってきて、プリント転写するだけですが。

さてこれは以前語った、当時の建築家を代表する不遇の天才、イワン・イリイチ・レオニドフの有名な設計競技案、「重工業省コンペ案」です。

もちろん実現はしてませんし、このコンペ自体もいろいろとあり、一等さえ発表されなかったという話です。

それでもレオニドフの才能が最大限に発揮されたものといわれる。

写真じゃなく、スケッチですからすごい。

横の文字は私がフォトショで入れました。ロシア語で彼のフルネームを入れました。

結構気に入ってます。

やはりこのデザインの良さが分かる人にはわかるようで、着ていったら3人くらいから

「お、それなに」

といわれました。

彼の語ったといわれる言葉で、ひときわ印象に残っている言葉があります。

彼は

「人間は自然を征服するのでなく、それに身をゆだねることによって生きていくべき」

という理念をもっておりました。

環境問題を考えると、それは現代にも適応しうる考えかと思いますが。

快適に過ごすにはもはや自然を抑制して改造して、極限まで住みよいようにしてしまうのが現代です。

レオニドフはそれを「贅沢」と呼ぶ。

「自然と共生していくには、我々は贅沢を禁じて不便に慣れるような生活スタイルを考えなくてはいけない」

そういった考えを持ちつつ、彼は高等芸術学校「ヴフテマス」の教職についてからだったと思いますが、「マグニトゴルスクの都市計画案」を製作。

詳しいことはよくわかりませんが、その案をみるとどうも屋根などがない、ちょっと普通に生活するにはどうだろう?という箇所などもみえる。

それである人がレオニドフに質問をしました。

「雨が降ったらどうするんだ、イワン・イリイチ?」

すると彼はこう応じたといわれています。

「傘をさすか、ちょっと濡れればいい」

なんの変哲もない言葉、マ当たり前だという言葉であり、なんともファンタジックな言葉ですが、私にはなぜか、これが強く頭に残ります。

私もロマンチストだからかしら。

雨がふる?そんなのは大した問題じゃないんだ。

道も濡れる。

壁も床も、何もかも濡れる。

でも草木だって、濡れる。

人間も濡れればいいじゃないか。

という感じで言った・・・わけではないでしょうが、なんとなく響きがファンタジカルで奇でした。

でも別の見方をすれば、こういった自己を極限まで追い詰めるハイパー・ストイックな考え方の中に、以前書いたKGBや戦闘機デザインなどの議論にも通じる

「機械≒人間」

という、当時を象徴する考え方が隠れているようにも思える。

まぁそんなたわ言はどうでもいいですが、これは成功でした。

他のも時間をみて作っていこうと思います。

たまにはこういうことをしないと息抜きになりません。

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2009年6月29日 (月)

僕のSOSが、君にとどかない

ちょっと前の4月くらいに、構内に部活の宣伝用看板がところせましとピシリピシリ設置されはじめました。

ああなつかしい。

まさに青春でんでけでけでけ真っ最中。それはどうかしりませんが。

とにかくも青い顔をして構内をさまよう新入生をターゲットに、笑顔とチラシを配りまくる学生たち。

運動部の女の子の健康的な黒い肌がまぶしい。

といっても世間は運動だけでできているはずもなく、運動をするには文化をすることも同時に行わざるを得ない仕儀となる。

だから道理として文化部の看板もあり、その中に漫画研究会のものもありました。

これは色の選択、絵柄などは結構見れるレベルのもので、さぞかし人目につくことだろうと思われたのですが、いかんせん前年の使いまわしで。

「センパイのいいから、これつかっちゃおうよ」

というノリなのでしょうが、大変に首肯しかねる働きですね。

研究するからにはその結果を自分のものとするべきで、いかにイラスト部でなく漫研であれ、その使命は変わらないと愚考するゆえ、とし毎に新しい作品を模索し創造すべきでありましょう。

したがって去年の春みたときは「マ」と思いましたが、今年同じのを見てつい電光影裏に逆倒れを起こして去年を想起し、同時にいたく失望いたしました。

人は想像することをやめたら、生きながら死んでいるようなものですからね、ずっと想像を逞しくしてください。

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2009年6月 5日 (金)

何か変わりそうで、眠れない夜。君の胸は明日、張り裂けるだろう。

「外交とスパイは、表裏一体である」

我が国の政治体制はもともと英国をお手本として作られたそうであります。

というかアメリカがそうだから、それをそのまま持ち越したのカナ?

だから近々管氏も体制を学びに英国へ飛ぶそうです。

政治体制だけでなく、イギリスという国はいろいろな点で、手本にされてきたようです。

実はアメリカのCIA、たぶんその前身である「戦略研究所」からだと思いますが、これもイギリスの諜報組織を模範として作られたそうです。

だからイギリスの「シックス」とCIAが「いとこ」と呼びならわして親交を保ってきているのも、けだし当然なわけですね。

そもそもスパイの起源も冒頭にある言葉のように、まず他国との外交を考慮する際、裏から手をまわして情報を得て有利な位置に立とうというものであったそうです。

これは本に書いてありましたが。

だから各国もこぞって独自の諜報組織を設立、長い時代を勝ち抜いてきたわけです。

日本には軍部にあったはずですが、今はどうなっているのか大変興味があるところで、たぶん自衛隊の中にひっそりとあるのではないでしょうか。

戦争を勝ち抜くにはもちろん「外諜」だけでなく、自国内のスパイを摘発・逮捕すること、つまり「防諜」も必須ですが、これについて最近思うことがあります。

FBIの存在についてです。

数多くのハリウッド映画を見ている限りでは、FBIは日本における警視庁、つまり管轄により区切られていないボーダレスな警察のようなものとしてとらえられているように感じますが、これはとんだ印象の植え付けのように思います。

他の本を読む限りでは、FBIは巨大な警察程度の組織ではありません。

彼らは合衆国内における敵国スパイの監視・摘発のプロフェッショナル、つまり世界でも極めて有能な防諜組織なのです。

その点がどうもあまり一般には知られていないように感じられます。

CIAとFBIの仲の悪さがたまに取りざたされますが、真否はともかくとして、やはり過去にCIAも「オールドリッチ・エイムズ事件」など、とんだポカをやっているようで、そのしりぬぐいをFBIがしているから、完璧に円満な仲ではなかったでしょうね。

一般の映画でも、もうちょっとその面を強調するといいなぁとたまに思います。

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2009年5月 7日 (木)

思い出は熱いトタン屋根の上。アイスクリームみたいに溶けてった。

今朝はハマ駅がえらいことになってました。

横須賀、東海道、京浜東北すべてストップ、乗客は雨ふりしきる中線路上を歩き、スタンド・バイ・ミーを余儀なくされるという事態に。

ホームから人が溢れかえってたそうです。

おかげで私も調査に遅れてしまいました。

関東ってのはすごく人がおります。

あふれかえっております。

仙台じゃそうそう見なかったくらいの人々でした。

そういえば、現代社会ってものァ便利ですねぇ!

実家じゃぁ取り寄せられないようなDVDも、着払いで買い放題!

ウラのおじいちゃんお願いします!

というハナシではありません。

とある魔、失礼とあるアーティストのCDを買おうとして、おそらくかなりレアなものでご近所のHMVにもない。

しかもつい8年前に発売したのに、もう絶版とか。よくあることなのですカナ?

それで中古をネット注文したところですが、一件のみヒットでもう全然数がないです。

どこに売ってるんだろう。

そのアーティスト、ボサノバ風というか、レトロというかよく把握してませんが、結構私好みの旋律を歌うようです。

ちらっと聴いてみたら、好きそうだったので買ってみようかと。

最近は、余計に時間を取られる存在たるテレビをなるべく観ないようにしてるのですが、やはり人間音があるから耳があるわけで、雑音のひとつもないと落ち着かないようにできてます。

だから今は、「生活のBGM」となる音楽を探しているところです。

そこで、彼らの曲を小耳にはさんだというところか。

最近人はだれも、自分の後ろで途切れたり続いたりしながら流れる旋律、いうなれば「人生のBGM」を持っていると思うようになりました。

熊倉師匠もその作品の中で、音楽を作曲し、指揮し、演奏し、合唱し、改造し、開発し、殺人兵器とし、全てを破壊しつくそうとしてその結果、その音楽によって腕をもぎ取られた登場人物に

「流れる涙にも、かすかな旋律がある。

まずはそこから始めなくてはならない」

と言わせております。

時間制限のある中で一生懸命なにかに取り組んでいるとき、大体頭の中に音楽が流れ続けているのは私だけでしょうか。

それが全然普段聴いたことのない曲だったりする。

ついさっき電気屋で拾った曲のワンフレーズだったりする。

ビークビックビックビック○○とか。

それはその人がその作業をやっている時に流れるBGMでしょう。

私はブルーハーツが好きです。

なんべん言ってもたりないようなセリフです。

しかし親にも言いましたが、私はもし自分が植物状態になったとしても、耳元で彼らの旋律を流されれば必ず覚醒すると心から信じています。

それは彼らの曲が、私の「命のBGM」だからです。

血と肉と、もうひとつの要素です。

果たして新しく見つけたあのアーティストが、まずは私の「生活のBGM」になるのカナ?

それを楽しみに待つのです。

ならなかったらそれはそれ、また探しにリズミカルに歩きます。

それも「生活のBGM」でしょ?

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2009年4月23日 (木)

肥溜めだけは嫌われ者だ。肥溜めばかりは嫌われ者だ。

「絶望先生」、ついに第三期やるそうですね。

すごいね。

OVAまで出してるのに。

OVA出してて第三期まで続いたのは、私がここ数年知る限りはARIAだけです。

第二期・後半が原作以上の要素がなくなっていたので、もう次はないだろうと思っていたのですが。

と、オタクみたいに語ってしまいました。

オタクを騙ってしまいました。

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2009年4月21日 (火)

『釣果は?』いやいやいや。『釣果は?』あはははは。『釣果は?』まだボウズで。『そうなんだ?』・・・ハイ!

展覧会での絵画の見方がすこしわかりかけてきたここ最近でしたが、それは「その当時の時代背景を理解する」という点が今まで欠けていたことがわかったこと。

これが大きいと思います。

正直、今頃そんなことに気づくのは遅いと自分では思っていますが。

展覧会は大体その画家の属していた流派だとか、『ゲルニカ』だったら当時の絶望的な時代背景の説明などが、会場のセクションごとにパネルで説明されるはずです。

ピカソやパウル・クレーの難解なキュビズムの絵を見てもナンのこっちゃかわかりませんが、その背景を理解し、「なぜ、このようなタッチで描こうと考えたのか?」をアタマにいれると、ようやく彼らの風を切るような脳細胞の運動に、すこし追いついた気がする。

しかしそれは、パネルで頭に入れた「一般化された説明」を、つまり固定概念を、改めて絵を見ることで確認しているだけの作業であり、それに満足して「理解した」気になっているだけだ、という批判も同時に成立すると思います。

本当の芸術とは固定概念を携えてみて、改めて感動するものではないのではないか?

本当の芸術とは予備知識なしの生身で接したときに、懸崖に手を察し絶後甦るくらいの気迫をもって私達の心を揺さぶるものではないのか?

こうして今、歴史系に進んでから絵画を見て、歴史的背景に傾注することの大切さを感じた一方、このようなジレンマによくさいなまれます。

だったら「本当の芸術」という、なんとも衒うような響きをもつ存在とは一体なんなのか?

誰かそれを、皿にのせて持ってこれるか?

それを突き詰めて考えてみると、そんなものは明確な定義もないし、人それぞれの感じ方によるのだから、そんなもったいぶった態度でシャナリシャナリと美術館へ赴くのではなく、やりたいように絵に接すればいいじゃないか。

という、たしかですが岡本太郎の解釈に首肯するのです。

誤解でもいいから、その絵を好きだなぁと感じられれば、そこで1つの満足が得られるわけですし、本来芸術とかいうものは娯楽であり、十分その目的を達成しているといえます。

こうして、まやかしかもしれないとはいえ、私はホンモノに接して感じるモノを大事にしてます。

みなよくやってますが、私も絵に顔を近づけてみることがよくあります。

それはその作品を描いた画家と同じ距離で絵に接することができる、唯一の方法だから。

視覚的にだけでなく、油絵の具の香りまでかぐことができます。

絵の持つ微々たる輻射熱も感じることができましょう。

でもどんなに顔を近づけても、それこそ鼻が接して驚くところまでいっても、その絵の本質にはたどり着くことはできないのです。

そればかりか、警備員に引っぺがされて、逆に前より絵から遠ざかってしまう。

近すぎず、遠すぎず。

全然わからないにあらず、すべてを理解するにあらず。

そんな曖昧な距離で絵に接すること、そこで小さな満足感を得られること。

それが私の目下の理想です。

マ得られなかったらそれはそれで、好きじゃないんだからいいと思います。

チケット代をムダにしたかもしれない。

でも、歴史のつまったホンモノに触れられるのは、それだけで価値のある時間でしょう。

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2009年4月14日 (火)

吐き気がするほど、ロマンチックだぜ

なによ、ちまたではやりの「草食系男子」って。

また、大衆向けの一般化されたカテゴライズに踊らされてしまっている。

なにが草食ですか、脱いだらみんな、オオカミだろ!

オオカミになるんだろpunch

・・・はい、また下ネタかよとか言わないように。

それはいいとして、女性作家が描く漫画で、ちょっといいと思う要素が2つほどあります。

1つめはマ、気の利いた男性漫画家もそうですが、女性のお風呂シーンについて。

女性漫画家の作品はさすがというか、ロングのコはちゃんと湯に触れないようにお髪をあげて、タオルとかでまとめてあるんです。

気付かない男性だと、ロングをそのまま湯につけて描いていたりする。

非常に細かい点ではありますが、そこに普段の生活からにじみ出ている細やかな気遣いがみえて、ちょっとほっとするのです。

反対に女性もイロイロ勘違いしている場合があるようです。

「そんな穴はない!」

と突っ込まれているくらいですから。

あぁまた、失礼仕りました。

それで2こめは、といいますと、女性間のパーソナルスペースです。

ああ、そんな言い方せんでもよかったですね、つまりは友人同士の女性間の、さりげなさです。

これは男性作家のものにはあまり見られない表現ですが、たまに女の子が

「ほら、こっちこっち」

と女友達を誘導するとき、彼女はさりげなく呼ばれたほうの子の手を握って、導いていくのです。

そのシーンが、どうもグッときますね。

これが男どうしでは、私としてはどうも抵抗を覚えます。

女性同士のさりげなさが、どうもいい。

男性作家のものにも、やはり男性ならではの常識が隠れているのかもしれませんね。

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2009年4月10日 (金)

日焼けした顔、笑ってごらん?水溜りには、宝物。

「さァて爺さんたち。

本日の懺悔は神にでなく、警察にすることになりそうだな。

だが覚悟しな。

俺たちは神よりもはるかに、容赦ないぜ?」

ただこんなセリフが思いつきました。

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2009年2月15日 (日)

月曜の朝の朝礼で、手首をかき切った。運動場の端っこで、悪魔がわらってる。

「感情都市」

n.k.sack

これは全人類普遍の権利である「幸福追求権」を完全たらしめるための、「理想の都市=ユートピア」を構築しようという試みである。

昔から街中には犯罪が絶えない。

昨今の経済悪化のあおりを受け、人々のココロはさらに冷たくなっていき、ついには人を人と思わないようになってきている。

その結果として、「むしゃくしゃした」とか「腹いせにやろうとした」という理由で、他人を傷つける事件が多発していると思われる。

これらの背景を受けて私が提案するのは、「都市の新しいゾーニング」である。

犯罪だけでなく、人と人との交流や日常生活などについてもいえることだが、その根底にあるのは「感情」に他ならない。

嬉しいから嬌声をあげる。

悲しいから涙をこぼしたり、むっつり押し黙ったりする。

怒るからけんかもする。犯罪にもそれはつながってくる。

銭ゲバも昔の身を切られるような経験があるからこそ、あのような蛮行におよぶのである。

大衆の中に立っていて、空気につられて怒ったり喜んだりしたという経験がある人もいることだろうが、それは周りの大勢の感情に、酔った結果といえる。

全ての行為は人それぞれの感情から生まれるので、この世はさまざまな感情に溢れているといえる。

つまり「感情の集合住宅」である。

だがその密度は、集合住宅のように平穏なものではない。

都内の電車の乗車率は120%と聞いた事がある。

だがそれらの「人の海」を「感情の海」と置き換えて考えると、とても120%では収まらないだろう。

まさに電車内は、感情という感情がすし詰め状態である。

押し合いへし合い、それら同士がぶつかりあうから、ほとんどみな不機嫌な面をしている。

ちょっと圧力がかかっただけで舌打ちが聞こえる。

これでは永遠に幸福は追求できない。

憲法も有名無実である。

ではどうすればいいかというと、都市を感情ごとに区画するべきであると思う。

『四番街で怒って 三番街で笑う―♪

泣くのはいつも 町外れ―♪

いつでも笑っていたいなら 集うは夕日の二番街♪』

―『KING OF BANDIT JING vol.6』

この歌に表されているのは、まさに理想の都市である。

人間は自分の心の殻に閉じこもって感情のコントロールを行うのではなく、足を動かして、自ら場所を大胆に移動するという、新しい方法でもってその感情の操作を行う姿こそ、まさに次世代の姿である。

本来ならこれは、人間が本能的にできることである、と私は確信している。

泣きたいとき、よく一人になりたくて泣く場所を探して移動するという行為をとるでろう。

これはまさに、本来の人間のとるべき行動が、自然と現れているものと判断できる。

知恵を持ち進化した人類は、このかつて持っていたと思われる「超移動行為」をより重視して行動すべきだと思うのだ。

さて、この原理に基づいた都市計画にそって、従来の街をゾーニングしなおすのである。

第一区画をanger districtすなわち「憤怒特区」と定める。

これはあまりに怒り心頭にきている人間が、収容されるべき地域である。

「収容」とは不穏な響きであるが、この法律が施行された暁には、総国民により反乱・暴動がおこると予想される。

幸福を全からしめるためには、人間は不用意に心をさらけだすべきではなく、いわば事務的に感情コントロールを行う必要があり、自らを機械のように統制しなくてはいけない。

そのために最初は、多少の不本意を覚えるのはしょうがないことである。

政府としては区画整理が完了して、国民がその意味を身をもって理解できるようになるまで、強行な手段をとらざるを得ないだろう。

そのために常に街中をパトロールし、しかるべき感情を持っている者をしかるべき特区に「誘導」するための、特別機動部隊「EMOTION(仮称)」の設立についても案件が提出されているが、これは次報にゆずることとする。

さて、第二区画はhappy district「歓喜特区」とする。

これはまさに幸福のさなか、浮かれポンチな人間を収容するための地域だ。

さらに第三区画、これはsad district「悲嘆特区」と名づける。

涙も枯れて、今にも自らの命を絶ちそうな人間達を収容するセクションである。

いずれの感情を有した存在も、度を越えると危険な存在になりうる。だからこそ、区画当初は完璧な監視体制をとらざるをえないだろうと予想される。

いずれの特区も勝手な逃亡をしないよう厳重な警戒態勢をとるのだが、このままでは収容所と同じであり、人権の侵害である。

そこで次に重要なのが、各特区をつなぐパイプラインである。

これは時間の経過ととも感情が変化した人間のための移動装置である。

たとえば、泣き疲れて逆にハイになりはじめた人間は「悲嘆特区」から「歓喜特区」へ移りたい旨を当局に通知し、しかるべき心理検査を受けて合格すれば、自由にこのラインを通って移動してよいのである。

すべての幸福は、その存在の人権が尊重されているという前提のもとに生まれるのだ。

このパイプラインはそれぞれ完全に独立しており、2つの異なるラインが交差することはない。

歓喜した人間が悲嘆した人間に遭遇すれば、悲嘆した人間はとてつもない心理的負担を覚えることが危惧されるためである。

また憤怒した人間同士が交差点で出会った場合、もっと危険な事態が予想される。

パイプライン内は浮遊プレートを用いて自動的に移動できるものとするが、そのフロートは一枚につき1人しか乗せないシステムとする。

これは男女が乗り合わせた際生じる可能性があるLove In the First Sightすなわち「一目ぼれ」の影響からくる「感情の急変」による混乱を避けるためである。

各特区については、歓喜特区はある程度は放っておいてもそう危険はないだろうし、悲嘆特区も集団自殺の兆候が見られない限りはお互いなだめあって沈下していくだろうことが予想されるが、憤怒特区では特別な注意が必要である。

怒ったもの同士で暴動が起こるかもしれない。それは特区全体に広がりうる。

そのため、憤怒特区においてそのような兆候が見られる場合、さらに地下に「激怒特区」を設ける。

これは怒りすぎて手に負えない人間を強制収容するための地区で、激昂によりさらなる憤怒レベルが観測された場合、さらにその地下に半永久的に特区をつくり続ける。

しかし地下にも限りがあるので、憤怒特区は横に広い構成にするのがよいかもしれない。

この点はまだまだ議論をまたねばならない。

3特区は今でこそ「特別区画」という名で呼ばれているが、人々がこのシステムに慣熟した暁には、よりナチュラルな名称を必要とするだろう。

これらのシステムを通して、従来の「家族システム」は完全崩壊する。

皆、真の意味で1つの機械になる。

そして人はみな自己の幸福に浸りきり、幸せな人生を送り続けるであろう。

これこそ、真のユートピアと呼ばれるべきである。

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2009年1月30日 (金)

みんなを乗せて、星クズのかなた。一直線の、稲光。

ドラえもん・のび太とアニマルプラネットを観ていると、面白いことに気がつきます。

まず背景を述べておくと、アニマルプラネットは言葉をしゃべり、二足歩行する動物たちのみが暮らしている惑星でしたね。

しかしその動物たちはお互い、捕食・被食の関係つまり食物連鎖というクサリに縛られてはいない。

食べ物は全てプランクトンや空気、水などを高機能の機械で合成して作る。

文明は高度に発達しており、車はタイヤがなく空に浮かぶ。

生活スタイルは人間そのもの。

その惑星はそもそも未来人が動物たちのために整備した惑星であり、その惑星にとっては月にあたる汚い星には人間「ニムゲ」がすんでいて、綺麗なこの惑星をのっとろうとはかる。

さて、シーンを回想しながら問題点を見てみましょう。

シーン1:チッポの家で

のび「ドラえもん、今のニュースの地図みた?」

ドラ「みた!なんていう国だろう」

チ「クニ?クニってなあに?」

さてこれを踏まえてシーン2。

シーン2:ニムゲとの戦いを控えて

ドラ「この惑星に軍隊はいないんですか?」

チ父(警官)「グンタイ?そんなものいないよ。戦争なんてやったことがないからね。

1つの町に警官が1人だけ。武器は6発の麻酔銃」

どうでしょうこれらの記述から面白いことがわかりませんかな、マ「グンタイ」のなんたるかを知らない犬のお巡りさんが、それは戦争に使うものであることをなぜか知っているという点はおいといて。

どこが面白いって、動物たちには「国」という概念がないくせに「町」という概念があるんですね。

お天気ニュースでいくつかの大陸すら写っており、これほど高度な科学文明をもったこの惑星が。

町のみがまさに惑星に蟄居しておるわけです。

それらを束ねるものはない。

町が集まってできているのが国だ、という認識を持つ私達人間と比べると、面白いですね。

私たちの世界の古代、つまり全国統一の前の状態を考えてみると、小さな「国」がまず各地にあり、それ同士が戦いをしてどちらかが負け、どちらかが勝ってその土地を奪う。

そうやってまず小さな「国」があり、それが合体して大きな「国」になったあと、国内を小さな「町」に分けた。

つまり私達の世界は、まず国があって、その次に町ができた世界なのです。

動物たちはそうでなくいきなり町に住んでおり、それらを統一するいさかいが全く起こらないのです。

しずちゃんが「ユートピアだと思うわ」といった真の意味はこの世界の景観の美しさだけでなく、この国の成り立ち、また現在もなお受け継がれている都市構造こそが理想なのだといっていたのがわかります。

深層にまでメッセージが染みこんだ作品です。

やっぱりすごい。

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2009年1月27日 (火)

ヘナヘナで弱い学生に、神のココロを植え付けよう

そういえば世紀の瞬間、見ましたよ。

リアルタイムで。

古びたブラウン管というフィルターによる視覚的データ変換を通して。

イラク戦争とか同時多発テロの突撃の瞬間とか、さまざまな歴史的瞬間に常に接しているともいえる私達ですが、アフリカ系アメリカ人初の大統領もまず歴史に残ることに相違ありません。

でもそういった壮大な歴史だけが、歴史ではない。

いやしくもレキシと呼ばれるもの、私達だれもが作りうるので、あまり物事をすごいとか容易には思わず、

「そんなもの、片手で描けるわ」

という意気込みでいかないと。

夏目漱石の言葉ではありますが、

『たまには股ぐらの下から「ハムレット」を観て、

「君こりゃ駄目だよ」

ぐらい言うものがでないと、文学界も進歩しないだろう』

ということです。

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2009年1月24日 (土)

真夏の夜明けを握り締め、何かべつの答えをさがすよ

本屋でカサハラテツローの漫画・単行本を見ました。

カサハラ先生といえば、学研の雑誌で私の時代では

『メカキッド大作戦』

『はるかな星のミント』

などを連載していた漫画家ですね。

小学校以来、見たことがなかったのですが、表紙からみるとだいぶ絵が変わったようですね。

1人の漫画家の10年近い間隔をもつビフォー・アフターを、そのプロセスに接しないで見たのは初めてかもしれません。

まぁ熊倉師匠も、あれだけ変わったものねぇ。

あさりとしとお先生も学研で『まんがサイエンス』を連載していた人で、今はアフタヌーンで『るくるく』を連載しています。

こちらは絵がかわりません、初期は高橋留美子そのままでしたが、それ以降独自のスタイルを形成した漫画家です。

あと雑学の量がハンパないようです。

学研で「サイエンス」と名のつく漫画を連載していただけあって、多方面の知識を豊富にもっているのが作品から読み取れます。

それは今も同じようだ。

もともとは同人誌から出発した人だと聞きました。

そのせいあってか、今の作品はちょっとエロが多いですが。

しかし、カサハラ先生のなら手を出してみてもいいかもしれないですな。

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2009年1月19日 (月)

AH!宣戦布告!手当たりしだい

朝目が覚めると、なんだかすっきりしなくて。

誰かの声が、誰かに似ているのだ・・・。

それが誰で、また誰か、思い出せなかったのですが。

さっき思い出しました。

ついこの間のレクチャーの話でした。

注目されている若手建築家・藤本壮介氏が、やけにいい声をしているのです。

失礼ながら顔からはあまりそのような印象は受けないのですが、メモを取るために御顔から目をそらし罫線にそって文字を配列しむる際、その声を改めて聴くとかなりいい声をしています。

麒麟の田村じゃないほうもかなりグッドな声をしてますよね。

それで極めて藤本氏、男らしく渋く響くいい声をしている。

建築家は作品だけでなく、クライアントへの説明力も必要ですが、その際にこれだけいい声をしていると、かなり印象もいいでしょうね。

役得役得。

すばらしい。

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2009年1月 8日 (木)

わたしはあなたの、味方気取り

「猫を友達とする訳は、猫は野獣性と家畜性との2つの性質をもっているので、そこが面白いと思うのである。

ライオンの仔や虎の仔は、初日のうちこそ家においてもよいだろうが、大きくなるとこれは始末に困るに相違ない。

猫に野獣の面影のある所がよいのである」

芸術家レオナール・フジタこと藤田嗣治の言葉です。

日本で生まれたものの、晩年はフランスに帰化し、夫婦ともどもカトリックの洗礼まで受けた人物の、展覧会に年末行きました。

作品をじっと観ていると、日本画なのか油彩なのか、そのあたりの境がだんだん判然としなくなって、最後に彼特有の乳白色に取り込まれてしまう気がしました。

一見水彩のように水墨画のように黒色でうっすらと陰影をつけているようなのですが、実はそれが油彩でなされている。

しかし初期においては、飽くまで対象が日本画的特徴を有している。

しかしどこか、ギリシャ神話の人物に似てもいる。

動物なんかを見ていると、それを強く、感じます。

彼は動物もよく描くので、いたるところに動物が出てくるようですが、その中でも私が猫が好きでした。

全ての個体が実に特徴深い、生き生きした表情をもっていて、絵本か何かを観ているようだ。

馬なんかを観るとちょっと受ける印象が違って、ピカソの「ゲルニカ」にいたあの馬のそれに似ているような顔をしたものもいました。

それは決して錯覚ではないと私が判断する根拠とするところは、彼がモディリアーニ、ピカソ、ルソーなどの影響を強く受けている画家であったという事実です。

とくにピカソの絵には、一番衝撃をくらったと書いてありました。

なんだか最近観る絵は、全てこのキュビズムとかアヴァンギャルドに関係する画家ばかりで、別のジャンルにも浮気しなくちゃいけませんカナ、と思いました。

去年、渋谷BUNKAMURAでアンドリュー・ワイエス展がやっておりました。

アンドリュー・ワイエス。

高校時代、教科書で観たかぎりの名前で、しかも観た絵はそのとき教科書にあったワンカットだけという画家で、なんとなく名前だけ覚えていたので、観ようと思っていたのが、メリー・クリスマスを待たずして終わってしまいました。

いえ、それくらいは待ってたかもしれませんが。

アメリカの現実主義の画家ですが、味わい深いタッチと彩色を有している・・・なぁ!と思ってて是非観たかったのですが。

ヤレヤレだぜ。

レオナール・フジタ展。

今は東京・上野でやってますが、次は宮城・仙台のせんだいメディアテークでやるそうです。

母が観にいくと豪語してました。

猫が数寄だという人は、観にいくと面白いと思います。

彼はいつも、猫とともにいる。

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2009年1月 6日 (火)

面と向かってキック、されたらどうするんだ?

『私の疑惑は確信へと変わった。

明らかにこの私の関東における住まいは、自衛隊戦闘機飛行ルートの、真下に位置するようである。

その証拠に、毎日のようにアメリカ軍製の強力なエンジン音により、家全体が震えるのである。

加えてこのアパートは下界から坂を上りきったところの、さらに上に構えるので、その辺の屋敷よりは明らかに壱等、空に近い。

そのうち雨のかわりとてBOMBの洗礼を浴びること必至である。

グラウンド・レベルと空と戦略爆撃機との高度関係から考察するに、私の家がまず最初にその大いなる洗礼を戴くのではなかろうか・・・』

- 引用:「哀愁と愛情の行間にて」

著:n.k.sack

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2008年12月23日 (火)

「自然はすごい」と得意顔の人が、サラリ サラ サラリ

今回はどろー氏が宿泊に着ておりました。

関東の荒波にもまれたようで辟易しておりましたが、最初に新宿にいったのでそれも道理かと。

私も連日予定があり完全に別行動でしたが、最後の会食が面白かった。

題はソ連の科学力についてでした。

主眼は、KGBとしてのソ連、戦闘機デザインとしてのソ連、そしてロシア構成主義としてのソ連。

どろー氏によると、ソ連の戦闘機は米軍のそれと比較すると、きわめて合理的なデザインをしている。

それはまるで人の手にフィットし、可能な限りの書きやすさを追求した万年筆の形状を想起させる。

そういう点で、「人間的な」デザインをしているといいました。

実のところ、それを聞いたときはちょっと違和感を覚えました。

「合理的」という点にひっかかりをおぼえる。

これは私がまずここ数ヶ月は、ロシア構成主義が念頭にある考え方をしていたので、「合理的」という言葉は人間の感情を全く欠いた機械の冷たさ、極端なほどの正確無比、つまりは「機能性」のことを「合理的」と捉えていたためだと思われます。

そういう点で、「あ、そういう見方があった」と気づかされました。

「合理性」という言葉は、この酒の席においては、二面性を含んだ概念でした。

可能なかぎり人間の感覚に近づいた、使いやすい道具としての合理性。

全てが完璧に幾何学により構成された機械の、涙が出るほど美しい合理性。

ロシア構成主義は、ロシア・アヴァンギャルドの流れの1つ、主に建築・絵画の分野におけるバージョンでした。

しかしロシア・アヴァンギャルドはそれだけではなく、いってみれば産業デザイン全てに影響を与えた存在なのです。

それは洋服だったり、陶器だったりと、人々の生活にきわめて縁の深い場所にアプローチしたスタイルだった。

そこには当然、兵器デザインもあったはずです。

現在においても、その影響を受けていないはずがない。

では機械美学を心棒したロシア・アヴァンギャルドのアウトプットのひとつであるはずの戦闘機が、なぜこれほどまでに人間的なデザインなのか?

この問いに対して、この会食はまず現段階における回答を引き出したように思います。

それは

「人間=機械」

という簡潔な式で定義できるのではないか。

レーニンが列車にのって、亡命先からモスクワに帰ってきたあの時代、機械と人間はこれまでないくらいに概念としてお互い近づいたのでしょう。

人間と機械がどんなに接しても、おそらくそれは「≒」の境界線を超えることはできない。

しかしソ連はこの時代にデザインにより、nearly equalを完璧なequalにまで格上げしてしまった。

この現象により生まれたのが、

「人間のように温かみをもった機械」

であり、

「機械のように冷たさを帯びた人間」

であったわけです。

だからこそフランカー、ハインドD、ミグなどの兵器は、きわめて人間らしい要素をもつ機械でありえた。

しかし人間は逆に機械に近い存在となり、その影響をもろに受けたのが、KGBという非人道的な情報組織であった。

たしかに米軍とソ連軍を比べてみて、その印象を覚えました。

映画「アイ、ロボット」

は原作がアイザック・アシモフであるという話です。

人間の心をもったロボット。

それを描いたアシモフがロシアで革命の年に生まれたという点も、まったく無関係ではないのではないでしょうか。

そして総結論は、

「ソ連の科学力は世界一」。

どっかのラノベのセリフかもしれません。

とてもすっきりした、よい時間をすごした気がします。

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2008年12月11日 (木)

たしかな物は、欲望だけさ

見る価値もないと決めつけた漫画。

下劣の極みだと決め込んだ音楽。

ハイハイ最近の流行ねと鼻で笑った小説などなど。

自分の中で切り捨ててきた全てを、嫌悪(笑)を抑えて、あえて読んで、聴いてみようと思いました。

結果は平凡なものかもしれなく、ただ単に一転して好きになるか、それともやはりねという感じで打ち捨てるか、どちらかになるだろうことは容易に予想できますが、はじめから決めつけて考えて行動するのに、なんか嫌気がしてきました。

だいいち好きなものだけ見てたら、価値観が拡がっていかない。

最近、絵画の巨匠らの展覧会に前より積極的になったのは、この考えとは全く無関係でしたが、結果的にここにつながってくるのかもしれません。

世間でゲイティッド・コミュニティという言葉が盛んに叫ばれてなかなかのカシマシさですが、それ以前の問題として、人間個々がゲイティッドな閉鎖空間を自分の周りに作ってしまっている気がします。

それはあるときは人間関係だったり、あるときは趣味だったり。

もちろんそれは個々の性格に関係の深いことであり、またそもそも個々の趣味に小うるさく言及するのは野暮であります。

だから自分のことのみで精一杯ですが、とりあえず身近なゲイティッド・コミュニティから取り払っていきたいカナ、ということです。

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2008年11月 8日 (土)

錆びついたコクピットの中にいる。白い月の真ん中の、黒い影。

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本日は、10月末に授業で紹介されたので即刻チケット予約した、劇団によるお芝居を鑑賞してきました。

やっぱり芝居って面白いです。

テレビとはまた違う。

「機械と音楽」。

ロシア構成主義を代表する天才建築家、イワン・レオニドフを主人公として、旧ソ連においてレーニンによる革命に勢を得てトレンドとなった、「ロシア・アヴァンギャルド」が誕生し、隆盛し、スターリンの登場による「社会的リアリズム」に屈服し、(国内で)はかなく散ってゆく様を2時間で描いた劇です。

登場人物は1人の女性を除いては全員実在人物であり、レオニドフの建築の師として、アレクサンドル・ヴェスニンやコンスタンティン・メーリニコフなど有名な建築家も登場しました。

この芝居は見てみたら、ロシア大使館もサポーターとして名を連ねていました。

実際、ロシア構成主義は、単なる建築様式における一過性な流行なんかではなく、旧ソ連内ではスターリンによって消滅させられてしまったものの、亡命アーティストによりヨーロッパにおいて多大な影響を与えたスタイルです。

それを描いた作品、しかも八束はじめ氏も協賛している芝居ですから、それだけに期待が大きかったものと思われます。

私にとっては、かなり楽しんで鑑賞できた作品でした。

正直私の知識不足で、レオニドフが「構成主義の星」と呼ばれたほど、まさに構成主義の中でも若手としてトップの存在であったとは知りませんでした。

それだけに周囲の期待も大きく、構成主義の未来を背負っていくことが期待された。

同時に彼はその個性的な性格により、周りから非難を受けることが少なくなかった。

ロシア構成主義の作品は実際に建ったものは少ないのですが、レオニドフは天才と呼ばれながら、そのすばらしい建築案のうち実現した建築物はなんとたった一つだけ。

時代がどんどん構成主義を締め付けていって、どんどん衰退の一途をたどるわけですが、最後に構成主義の教授陣が次世代?である社会的リアリズムに懐柔されていく姿を見て(レオニドフの主観ですが)、絶望したレオニドフに、メーリニコフがやってきて、言う。

「君はもはや、ただ1人の構成主義者なのだよ、イワン・イリイッチ」

構成主義を絶滅から救うには、スターリニズムを建築に取り込んだ案をアピールするしかない。

しかしそれは構成主義者にとって、敗北と喪失を意味する。

その強烈なジレンマの中でレオニドフは悩み苦しむ。

そして晩年の彼は酒におぼれた生活を送り続けるのです。

ある日酒を買いに出た路地で彼は死を遂げる。

構成主義の星とよばれ、全ての期待を一身に背負った1人の天才の最後は、まことあっけないものでありました。

「僕は図面に線を引くたびに、音楽が聴こえる。

それは僕を、いや僕らを、未来へと導いてくれる調べなんだ」

アヴァンギャルドの名に恥じない作品の数々、そしてあまりに残酷な、あっけない最期。

ロシア構成主義の儚さは、私を常に魅了してくれます。

いつかロシアに渡って、彼の唯一の作品をこの目で見たいと考えてます。

劇場自体は王子にあり、鑑賞後ヤボ用で表参道まで回りました。

人たくさんでした。

そういえば、夜の表参道は初めてだったカナ。

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2008年7月13日 (日)

電光石火。電光石火。新しい、星をみつける。

4年ほどまえから関東で暮らし始めて、一番よかったと思える点は、都内で行われる展覧会に、思いつきレベルの気軽さでいけるようになったことでしょうね。

ロシア・アヴァンギャルド、モスクワ市美術館展。

今日行ってきました。

http://wwwz.fujitv.co.jp/events/art-net/go/625.html

アヴァンギャルド、すなわち前衛的芸術の展覧会でした。

1900年代のソ連、世界史でいえばロシア革命をはさんだ前後あたり、建築史でいえば、最後の弦音でも書いた、ロシア構成主義の前後あたりの年代をターゲットにした、絵画展でございます。

旧ソ連が好きな私としては、まさに直球ストレートでした。

同じ芸術だけあって「建築」と「絵画」、さらにいえば「彫刻」はお互いに密接なかかわりあいがある、ということができます。

例を挙げてみますと、ちょうどロシア構成主義と同時代に、オランダでデ・ステイルという建築運動が起こっております。

これは同時期に各国でおこっていたことではありますが、あの女性の髪のような、はたまた植物のつるのような流線型を主流としたスタイル、アール・ヌーヴォーに対抗して、かなり端的に申せば、それと相反するスタイルとして幾何学を尽くしたデザインを主流としよう、という運動でありました。

総括して、モダニズムといいますが、それの1つの流れとしてオランダで生まれたスタイルを、新造形主義、通称デ・ステイルと呼びました。

この際にもピート・モンドリアンという画家のスタイルの持つ特性が、建築史上においても重要なポイントとして、語られています。

モンドリアンの絵はたぶんどこかで見たことがある人が多いでしょうが、見れば「あぁ幾何学だ」と思い、納得するでしょう。

旧ソ連におけるロシア構成主義を語る上でも、画家の存在とは重要なものでありました。というより建築家自身が絵画活動をやり、自分の設計の方向性を模索していたとみえて、展覧会にはウラジーミル・エヴグラーフォヴィチ・タトリン、アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・ヴェスニン、ラーザリ・マルコヴィチ・リシツキーなど、ロシア構成主義を代表する建築家の絵もありました。

どうも前のモディリアーニ展以来、展覧会の見方が私の中で変わってきているようで、今回もちょっと感想じみたものを述べてみようと考えました。

イメージをアップできれば一番いいのですが、規制がよくわからないので、興味があれば挙げた絵をどこかのサイトでご覧いただけるといいと思います。

この時代の主流の絵画に共通する点は、農村や民衆の姿を、素朴な表現、明るい色彩、線の強調などの意識の元に描こうという点、また、機械美学の熱烈な心棒でありました。

またそれらの要素と、キュビズムとが混合された絵画が多くあります。

キュビズムとはすなわち、ピカソのような絵です。

立体をムリヤリ二次元にしたような奴ですね。

だからこの時代の絵は、全てラインが角ばっています。

色んな色の破片を張り合わせたような、というのが一番適切な表現であるようです。

興味深いことに、この時代旧ソ連で活躍した画家に、マルク・シャガールがおります。

彼は後に外国に亡命したもので、彼の旧ソ連時代の活躍はあまり知られていないそうで、今回初めてみた感じです。

まぁ彼の絵も含め、全体の絵を見た印象を述べますと、最初に述べたように、確かに最初の方の時代は明るい色彩が用いられており、極めて鮮やかでありますが、年代が続いていくにつれ、どんどん全体の色彩としては暗くなっていっている感じを覚えました。

たしかに鮮やかな色は用いられているのですが。

しかし、これは考えてみると当然のことで、この時代のはるか先を見据えてみると、終点ではないにしろ、そこにいるのはあの、ロシア構成主義であります。

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前の絵ではありますが、これはラーザリ・マルコヴィチ・リシツキーの「レーニン演説台計画」の模写であります。

みて分かるとおり、この計画の根底にあったのは、「徹底した幾何学により構成される物体に対する、並々ならぬ賛美の情」、であります。

そう、彼らがいる時代の先には、ずばりこれがあるのです。

すなわち彼らは、人間性をまったく欠いた機械へ向かって、すすんでいる。

彼らは最初の方針の通り、機械化された社会の心棒を貫いているわけで、それは必然的に「明るい色」ではなく「暗い色」、さらにいえば「冷たい色」へ続いていくはずです。

だから彼らの作品は明るい色彩で構成されつつも、その実はどんどんと冷たい物へと完結していかざるをえない。

人によってはそこに矛盾を感じる人もいるかもしれませんが、少なくとも私にとっては、この「明るさ」と「暗さ」が共存し、見事調和したこの時代の作品が、かぎりなくGood!!!です。

機械につながるだけあって、だんだんと鋭い、キレのある線の描写が多くなっていくのがわかりましたが、ある娼婦を描いた絵に

「鋭い線は、娼婦の年取った体のラインも容赦なく表現する」

とありました。

まさにそのとおりで、そこに、潜在的な機械の残酷さを感じました。

これとは別に、ゆくゆくは機械につながっていくという予感を感じさせる要素が、もう1つあるように感じました。

陰、であります。

じゃぁ、この特有とも言える暗さはどこから出てくるんだろう、とうろうろしながら考えてみたのですが、やはりそこにあるのは「陰の表現」ではないか?とおもいあたりました。

例えばシャガールの作品にはよく見られると思いますが、彼が表現する陰は、とてもねちっこい、まるで光の加減からできたものではなく、そのもの内部からジンワリとにじみ出てきているかのような、黒です。

嫌な言い方をすれば、その物質にはびこる、みずみずしい黒カビのようなイメージで、こびりついています。

他の画家の絵についてもそれはいえることですが、だがしかし、こんなにもあまりキレイとは言いがたい陰の発生のしかたなのに、その陰はまるで金属のきらめきのような、宝石の破片のような光沢のある質感をこちらに投げ込んできます。

例えば、アリスタルフ・ヴァシリーエヴィチ・レントゥーロフの「女たちと果実」は陰のみではなく、まるで全体が様々な色をした宝石で構成されているかのような作品です。

しかしこの作品以上にこの陰の質感が特徴的だったのが、ニコ・ピロスマニです。

ニコライ・アスラノヴィチ・ピロスマナシヴィリ。

通称ニコ・ピロスマニは元々看板のデザインをしていたのを、「発見」され、画壇に登場したのですが、彼の陰ほど、粘着質のある陰は他にありません。

看板屋だったこともあり、使う色を制限していたようですが、彼の絵に出てくる人物は大体が白い顔と、黒い眉、黒い目、黒いヒゲがくっきりと描きわけられており、まるで死体のような顔色にみえます。

陰とかヒゲとかいうより、まるでキャラクターにこびりつき、むしばむ黒カビのようです。

「漆黒」とは、まさしくこの色のことでしょう。

なんでもその中に吸い込んでしまうような、完璧な闇です。

その中に青白い顔、手、机が、ボンヤリと、まったく人間性を欠いた存在として浮かんでいる。

また背景がこれまた薄暗く、大体の絵が、黒い空が、下方からのぼる太陽で、ぼんやりと中央あたりが明るんだようなイメージで描かれており、結局最後には全体を、人を、机を、動物を、そのしっとりとしたなんでも吸収する闇につつみこんで完結する。

彼の絵の中にはそんな、極めて強い「自己完結性」が感じられました。

これは私の考えでは、ながらく看板屋として絵を描いていたせいかと思われます。

看板はそのメッセージがストレートに、わかりやすく伝わらなくてはいけないので、その中に謎をはらんだ発展性など無用です。

そのクセがおそらくは、出ていたのかもしれない。

彼の絵の中の人物、もしこの青白い顔色がこうも鮮明なはっきりした物でなかったとしたら、彼の絵は極めてボンヤリとした、薄暗いイメージになっていたでしょう。

この、くっついている対象をはっきりと浮かび上がらせる陰、そしてまるで宝石のようなするどい輝きをもつ陰。

このイメージが私の中で、機械のもつ鋭いイメージとかさなった。

この陰をもっと表現手法に注意して見てみると、そこに共通した手法が見られました。

手法というほどアレではないですが、つたない観察から愚考するに、このにじみ出る陰は、暗い色から明るい色へ一気にグラデーションを飛ばしているせいかと思われます。

カジミール・セヴェリーノヴィチ・マレーヴィチの絵をご覧いただければ、すぐわかります。

「収穫」「冬のモティーフ」「刈り入れ人」あたりでしょう。

そこにビビッド・トーン→ペール・トーン。またダーク・トーンから同じくペール・トーンへグラデーションがなされています。

このせいで明るい色に対して暗い陰が極めてぼんやりとみえるのでしょう。

シャガールにおいても、この特徴は見られます。

もちろん他の画家にも。

ただ、やはりマレーヴィチ、ピロスマニがより特徴的でしょう。

こうして隆盛をつづけた画壇でしたが、スターリンの登場にいたって雲行きがあやしくなってきました。

これまで奨励された抽象的表現を否定し、写実的表現、つまりありのままを写真のように描写する事、を強制する動きが出てきたようです。

そして1920年半ば以降、旧ソ連はリアリズムへ歩みはじめた。

そのためか、シャガールやエクステルら、数人の画家は海外へ亡命しております。

こんなとこにはいられん、ということでしょう。

それ以降、ロシア構成主義は海外で成長していく形になります。

では旧ソ連内の文化は?

このころ旧ソ連内には、

「文化を産業に!」

というスローガンがかかげられ、個人主義は否定されていきます。

すなわち、芸術は、金になるものに、また独裁者スターリンの権威を象徴するためにされるべきである、という流れが出てきたものと思われます。

建築、陶器、ポスター、服飾などに、芸術はシフトしていったようです。

この時代に国内で描かれた絵には、周りを機械に囲まれ、ツナギを着たなんとも無個性な労働者がただ黙々と働く姿が表現されております。

ただただ、権力に従う姿です。

その表情を見てみると、うっすらと、本当にうっすらと笑みを浮かべている。

むりやり強いられて表現された、作り物の幸福を表現しているのでしょう。

構成主義の時代を代表してきたマレーヴィチでしたが、多くの画家が絶望して亡命するなか、彼はソ連内に止まった人間のうちの1人であるようです。

展覧会の最後を飾っていた絵は、かつての面影をまったくなくした、彼の絵でした。

おそらくは権力に屈して、人物画を写実的に描いている、彼の作品・・・。

「マレーヴィチは、国内で芸術を続けていくしか自分に道はない、とわかっていた」

ちょっと間違っているかもしれません、うろ覚えですが、展覧会の最後に刺してあった言葉は、たしかそんな感じでした。

彼の画風の変化をもって、旧ソ連におけるスプレマティズムは終焉をむかえたのでしょうか。

流行とは、かようにもあっけないものです。

・・・しかし文字ばっかです。

これ最後まで読んだ人、すごいカモ。

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2008年1月14日 (月)

過ぎてゆく時間の中で、ピーターパンにもなれずに

アンパ○マン と ざんねんマン その2

「よっ・・・と」

砂煙の尾を引いて、アンパ○マンは砂漠へ着地した。

彼の横で、ほぼ同時に相方が砂にのめりこんだ。

横に面長にできあがった黄色の相方は、バツの悪そうな顔をして立ち上がって砂を払った。

アンパ○マンがこの不思議な形状を有したカ○ーパンマンと組んだのは、そう昔のことではない。

同時に、ジャム翁率いるパン一味が、いかなる短距離飛行の場合でも適用するルールとして、決して単独飛行はおこなわず相方と飛ぶことを課したのも、そんなに前のことではなかった。

これは彼らの今回の任務と、カ○ーパンマンの前任者に関係の深い話である。

バ○キンマンに劣ることなく、パン一味も小麦系をはじめとして、パンの中身の材料関係全てからなる幅広いネットワークを形成して、情報収集に努めている。

自分達に協力してくれた情報源には、やはり食い物関係で返礼をするのが彼らの礼儀であった。

今回はそのお礼参りの一環として某高級料理店で調理された、高級カレーを届けるのが任務であるが、汁物関係を新鮮な状態で、しかもできたて同然でデリバリーするという行為は、誰にでもできる仕事ではない。

特にカレー関係に関しては、目下組織内において、カ○ーパンマンの右に出るものはいない。

証拠として、前のデリバリーから二日とあいていない今日も、彼はカレーを運搬していた。

数年前までは彼ではない別のカレーパンが運搬を行っていたのだが、怠惰な不注意からなるミスを犯したため、全てのカレーパンの憧れであるその任務を剥奪されていた。

一般にカレー運搬の方法としては、周知のとおり出来立てのカレーを鍋から直接口の中へ放り込んで体温で程よく保温したまま飛んで輸送するのであるが、これまた礼儀の一環として、向こうで“調理”するための大鍋は自分で持っていかなくてはいけない、という主張があった。

つまり数年前までは、たらふくカレーを詰め込んで丸々太った男が、大鍋を両手でつかんでぶら下げてヨタヨタ空を舞うという、まことに滑稽な光景が青空に展開されていたわけである。

運命の日、老いた前任者は例によって風船みたいに飛んでいたが、彼の皮が高齢のためボロボロになっていたのと、彼が余所見をしていたのとが合併し、ちょっとした拍子に皮が破けて茜色の空から大量のカレーを地上へぶちまけた。

当然ながら地上は死屍累々たる有様になり、しかも当時は猛暑の盛りであったため事態は時が過ぎるにつれ、ますます悲惨なことになっていった。

さらに運の悪いことに老パンの真下を某国の大使閣下が新品のロールス・ロイスで通りかかった。閣下は偶然その朝、自分の不注意で極上のスーツにカレーをこぼしており、お世辞にもご機嫌麗しいといえる状態ではなかった。

ここにいたってようやく閣下はたまっていた怒りのはけ口を見つけた。

組織内部ではこれまでにない迅速さをもって、諮問委員会が開かれた。

新しいパンに顔を包んだ老人は背筋を精一杯のばして、当日吾輩の顔をかすめていったカラスのくちばしが通常よりもとがっていたのが最大の原因である、と釈明した。

そのとき諮問委員会の議長の役をおおせつかったのが、最近人事に携わる役職に昇進したばかりの組織の若き切れ者、バ○キンマンの女(め)の敵である食パ○マンである。

彼は女性なら誰でもうっとりするような微笑を浮かべて、自分の顔くらい白くて、四角い紙を老人にうやうやしく献上した。

その解雇通知が提出された日をもって老人は組織から放り出され、役職はカ○ーパンマンに引き継がれ、現在に至るわけだ。

とはいえ諮問委員会ではまた、

“はちきれんばかりの腹を抱えて無理に大鍋を担いでいったのも、注意力散漫の原因ともいえる。

今後はこの類の任務だけでなく、あらゆる飛行において同伴者をつけることを義務付けるものとする”

という、まことにもったいぶった結論も引き出していた。

これが老人の情状酌量につながらなかったのは、彼の吐き出した名言を考慮するといたしかたないといえる。

その後すぐにバ○キンマンの部下が、空中を飛ぶパンの頭をバズーカで吹っ飛ばすという迷案を考え付いた。

これにやられた仲間の回収と言う点でも、ペアで飛行するという体制は役立っている。

そういうわけで、この日カ○ーパンマンが重みでつい砂にのめりこみ、その横で鍋を抱えたアンパ○マンが立ってあたりを見渡しているというわけである。

アンパ○マンは例のアメリカの調査から帰ったばっかりでつかの間の休暇をもらえるか、正直期待していたのだが、相方の任務のためにムリヤリ連れ出されたのだ。

カレーの運び屋は目的場所を視認して歩き出したアンパ○マンについて、ペンギンみたいに歩き出した。

「あぶねぇあぶねぇ。こぼして爺さんの二の舞になるかと思ってひやひやしたぜ・・・。

ま、その冷え具合が腹の中のカレーの味を、いっそう引き立てるんだけどな」

正気の沙汰とも思われないことをいってついて来る黄色い男の存在をまるで無視して、アンパ○マンは持つ箇所を変えたおかげでよみがえった、冷たい鍋の感触を感じながら、考え込みながら歩いていた。

彼にとっては腹に入ったカレーより、最近入った情報の方に興味があった。

さてカレーをふるまう相手である情報提供者は、皿とサラダを用意して、待っていた。

砂漠のど真ん中に立てた仮設の調理場でカシャカシャ音がする。

米を炊く係を誰にも割り振ってなかった事をついさっき思い出したと見える。

めんどくさい挨拶を終えて、カレー太りは調理場へヨタヨタ入っていった。

それより早く、アンパ○マンが調理場から米炊き係を外へ追い出した。

これは米炊きにとっても、カ○ーパンマンにとっても非常に情け深い行為というべきであった。

その理由はやがて判明するはずである。

予想にたがわず締め切った調理場でカ○ーパンマンは、はじめた。

これも有名な話だが、輸送したカレーを調理しなおすのも、運び屋の仕事である。

再調理は簡単だった。

運んできた鍋をでんとコンロにおいて火をかけ、あとは腹の中のカレーを入れたときとは逆の手順をもって鍋にあけるだけである。

もちろんカレーの質が腹の中で劣化しているという事態は、ありえない。

カ○ーパンマンはそんな不手際ではない。

不手際なのは実行する際の音だけである。

アンパ○マンが締め切ったおかげで、激しい射出音の80パーセントは消滅した。

ホストがその音を耳にしたら、欲と名のつくものはいっぺんに全て消えうせてしまうという事実を、彼は経験から知っていた。

残り20パーセントは彼が出来上がりを待つ客とおしゃべりすることで葬り去った。

「できましたぞぃ」

スリムになったカレー男がみずから客へサーブした。

「む・・・むむ!さすがは○×のシェフ!これほどの美味はなかなかお目にかかれない!」

「お耳もかかれねェよ」

「む?なにか申しましたか?アンパ○氏?」

「いえ別に」

戻したのを貪る客の横で、アンパ○マンは空を見上げた。

ざんねんマン。

その存在を、かれはなんとなく知っていた。

鍋を抱えて空を飛行中、幾度と無くその残念オーラを地上から感じ取ったせいもある。

大したことは無い男である。

だがそれゆえに、持つ怨念の強さ、マイナスパワーの強さは計り知れない。

国家の安泰にとって、危険な存在にもなりうるのだ。

その男に、最近菌糸を生やした工作員が接近したという。

奴なのか・・・。

続く

あぁもうなんだか。

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2008年1月13日 (日)

カツ丼、サラダ、冷奴。おなか一杯。

あんぱ○マン と ざんねんマン

彼は生まれつき、ざんねんな男であった。

新年の挨拶としてみんががケー・ワイをつぶやくまえに、

「ま、去年も今年も君はケー・ワイだけどね」

といわれるのは毎年のことで、

彼はそのたびに脂汗をにじませながら、

「ケーワイケーワイとよくもまぁ日本文化の伝統性のかけらすら感じない流行語をしつこく弄するものだ君たちは、二十代前半からそんな幼稚な神経じゃまず高収入請け合いな企業へ就職してキャリアと肩を並べかつ肩をそびやかしてこの不景気において好景気を謳歌しなおかつこの学歴社会を闊歩するなんてできやしないだろうね本当に気の毒の至りだよ、ま僕なんかは中学高校大学とトップレベルの成績でストレートに来た挫折しらずだから諸君等愚民のこれから来るべき労苦苦労まぁどちらでも同じことだがそんなパッションについてはまったく理解しえないけどねまぁ愚民は愚民らしくひとところにたまってごろごろごろついていればいいんだ一生そのままでね、下愚は移らずとは君たちのことだ」

と下を向いたままくどくどと続けた。

みんなが袴、着物で着飾ったその席の上座には、さっきおおきな声でケーワイ!と冗談めかしてさけんだ先輩と、それに同調したたくさんの人たちがいた。

そして彼等の大半が今年の身の置き場に窮していた。

場はいっきに盛り下がり、ざんねんな人は毎度ながら皆をいいまかしたと内心大得意で、ウーロン茶をあおるしまつ。

酒があまり好きではないのだ。

その様子を影で見守る菌糸を生やした頭に、彼は気づかなかった。

彼のざんねんぶりはかなり有名で、しらない人はいないくらいであった。

そのうちみんな彼を「ざんねんマン」とよぶようにまでなった。

高名は止まることを知らず、ついにはかの有名なば○きんマンも彼のざんねんぶりを知るようになった。

ば○きんマンについていえば、少し前のことだがあんぱ○マンたちが最近国内でやつの姿をみないが、と不思議に思っていたところ、本部最上階のデスクに鎮座ましますジャム翁のもとへアメリカの入国管理局から連絡がはいった。

管理局スタッフはあんぱ○マン一味から

「ば○きんマン関連の情報は逐一報告するように。カビ野郎どもがアンパンをかじって屁をこいてるのを見つけたら、やはりこれも報告するんだ」

と厳命されていたため、昼食後のコーヒーに管理局からの最新の情報が添えられてきた。

それによると、最近カビの国内外への出入りが頻繁になっており、入国に際してなにやらたくさんの荷物を持ってくるが、同国からまかる際には手ぶら同然だという。

それを読んだジャム翁は、あの沢山の菌をかかえた薄汚いカビどもを手ぶらと呼ぶのになんの抵抗も感じない役人どもが毎度ながら不思議でならない、と紙面をみつめて思った。

アメリカ、そしてこの国を頻繁に往復しているカビたちは後の調べにより、あるじのテロに必要な道具を運ぶ、いわゆるクーリエ(運び屋)だということが判明した。

エージェントを通して、アメリカにわたっていると思われるば○きんマンの動向をさぐっていたあ○ぱんマンが翁に報告したところによると、すでに大量に運びこまれた道具をもちいて効果的なテロを実践した形跡はあるが、それらは彼の期待した結果にはならなかったらしい。

汚らしいテロを敢行する彼の一番の目的は衆知のごとくパン一味をかもすことにある。

だがそれにまして大事なのが、己の名の全世界規模の宣伝にあった。

たとえば一計を案じてパン一味を腐らせることができても、それをやりおおせたのは自分であると世界に知らしめなくては意味がない。

この点において、ば○きんマンはアメリカでみごとに失敗した。

なるほど、効果的テロにより同国内では右往左往の大騒ぎがおこったのが事実である。

しかしその責任の大半は国民の勝手な思い込みにより、CIAに転嫁されてしまった。

これはアメリカ内で蔓延中のしつっこい病気、なにか説明不可能なことがおきたらとりあえずCIAのせいにしとけというCIA症候群の一例である。

ば○きんマンの名前は大手はもちろん、数多なるクズ紙の片隅にも載らなかった。

アジトの床に各紙をはでにまきちらして、彼は頭から、かたつむりみたいな二本の角を生やして激怒した。

同時に落胆もした。

テロの機材もタダではないし、クーリエのカビのためのカバーストーリー、それに基づく偽造パスポートも機材ほどではないが決して安い代物ではないのだ。

そのための資金を調達するために、彼が裏社会でどれだけ走り回ったことか・・・?

悄然として自国に帰って体制を立て直そうと考えてた彼の耳に、カビつながりで「ざんねんマン」なる男の存在がとびこんできた。

彼は各方面からカビ繫がりで情報を仕入れており、例のCIA症候群の話を知らないでもなかったが、生まれつき思い込みの激しい性格も一役かって、例の失敗はスカスカのくせに中にアンコやカレーとか入れて澄ましている憎たらしいパン一味の仕業に他ならない、と頭から信じ込んでいた。

菌類ひとすじである狂信的な彼にとっては、パンの身でありながら釜飯や握り飯などという異属と連携を結んでいるパン一味の節操の無さでさえ、憎悪の対象であった。

聞くところによると、ザー○ス・ボンドという接着剤ともしっかりと「癒着して」いるという。

食い物ですらないじゃないか?やつらの倫理はどうなっているのだ・・・?

また自分の眷属たるド○ン嬢が、中身の詰まったパンの中にあって異彩を放つテクノクラート食パン野郎に熱を上げているのも鼻持ちならざる事実であった。

嬢は最近、元から赤い体をさらに真っ赤に化粧してどこかへ出かけたきり、めったに帰らない。

間違って例の食パン男と出会おうものなら、その身はいっそう赤くなるに違いない。

ば○きんマンは、かつては裏町に巣食う、けちな悪党の末席を汚しているにすぎない存在であった。

町の顔役も、控えめであまり表にでない彼に対してはあまり注意を払わず、たまに使い走りに回すくらいであった。

だが彼等は、黒々とした彼の心の奥に眠っている狂信的な菌類への執着、また目的のためなら手段を選ばないというその残忍性を読み取ることはできなかった。

数年たって、中国でサーズというウイルスが台頭し、同国内、やがて全世界を恐怖のどん底に突き落とした。

日本ではサーズとして呼び習わされているが、彼は中国では普通ならざる者として、「非典」という呼び名を賜った(某予備校の漢文教師も、それを生徒に話した)。

全世界の浄化という目的をかかげる彼は、非常に積極的工作ならびに宣伝工作に長けていて、あらゆるところに部下を配して暴れまわった。

彼の統率する部隊は元々が彼が訓練に訓練を重ねて、ソ連のスペツナズ、米のデルタ、英のSASレベルに仕立て上げた、一騎当千の猛者ぞろいであった。

裏町の暴れん坊たちは追従か抵抗を選ばされ、後者を選んだ者達は例外なく、かもされていった。

実動隊の機能性もさることながら、彼が様々な方面から特に取り立てた数人の作戦参謀も一筋縄でいくような顔ぶれではなかった。

彼ら参謀は念に念をいれて協議を重ねて立案した作戦を主に提示したが、そのことごとくが極めて巧妙、かつ効果的であった。

サーズ自身が

「こいつらは私の半身、特に脳の半分を占めている」

と賞賛したほどである。

マスター・サーズの次に裏町で恐れられたといわれる彼ら参謀の中に、今や完全に頭角を現した、ば○きんマンという名の若き天才の姿があった。

やがて彼は機に乗じてサーズ、その他の参謀をかもし、大々的組織を根こそぎ手にいれてしまった。

まさに順風満帆の船出、彼の統治による世界のかもしが始まるはずであった。

しかし、彼は数年のうちにその精鋭部隊の半分を失い、そして毎度おなじみの西側の態度、すなわち時が経てばどうでもよくなるという性質によって、その名も忘れられていった。

そう、日本政府が内密のうちに組織した、パン一味のせいで・・・。

「ざんねんマン・・・見るからにざんねんな男だが、これはあんぱ○マン一味をかもすための仲間としない手はないかもしれんな」

TXのつくば駅の反対端に位置する駅にでもごろごろいそうな、ざんねんマンの顔写真をみながら、彼は思案した。

これほど見るもざんねんな男ならパン一味も注目してはおるまい、というのが彼の読みであった。

しかしこれも最近の劣勢のためのストレスによるものだろうか、彼の読みははずれていた・・・。

続く。

疲れたので、この続きはいつか書きます。

いうまでもないけど、フィクション。

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