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2009年7月31日 (金)

ザ・ブルーハーツより、愛を、こめて

M.Mです。

ついにこのココログにも「アバター」というものが導入されつつあるようです。

これは頭の中にある自分自身像を、画面の中で再構成してまったく別モノたる視覚言語に翻訳しなおそうというラディカルなシステムであり、それはマいいんですが、私は結局材料が限られているんでしょう?それの組み合わせでしょう?という根拠の無い先入観(くわずぎらい)から、まったく導入を検討しておりません。

自分で描いていれば自画像は十分。

でも私のごとき、まだまだ自己の内面を表現するためのツールのひとつたる絵画イラストにおいて先師の模倣の域を未だ出ない、つまり独自の材料がまだ全然無い存在が描く自画像を議題としてとりあげた場合、この、プログラムという世界の中において構成単位の限定されている「アバター」システムにより紡ぎだされた自画像といったいどこが違うのだろうか?という自己嫌悪が悶々と湧いてくるのも事実であります。

しかし毎度毎度頭にわきあがるこの思いに対し、そこはいつもまだまだ修行の身であり、これからだ終身保険。という返答がわいてくる。

人生はそういうものかもしれません。

何か自分の中に問題がわいてきて、悩んで、結局他愛のない出来事でそれをなんとも思わなくなって、そのとき明瞭な回答がわいてきて、なんとなく完結する。

これの繰り返しであった気がします。

でもこの繰り返しに付き合うのはかなりの精神疲弊を伴うのも確かで、こう何度も何度も繰り返されては自分の精神が恒久の凌辱を受けているようで、とても不愉快になります。

輪廻の中から抜け出せないみたいだ。

そこからの解脱を求めて、いろいろな人が中央線へ飛び込んだり、縄をクビに巻いてみたりさまざまな業を起すのでしょうが。

でも三界有りといいますから、この世から輪廻解脱を図ったところで来世でも輪廻解脱を科せられるんじゃないですか。

というか輪廻ってなんだか違いますね。「ループ」ですね。

下手に宗教言語を持ち出すのはちょっと末期な気がします。

マとりあえず結論は、こういう日に一人で酒を飲んでいては駄目だということですね!いや失敗した。飲まなければよかった。

書いて吐き出すだけ吐き出したのでいいとしましょう。

そう、アバターって聞くとどうしても痘痕しか思い出さないですよ。

なんだか不景気な話で終わらせるのは縁起悪いので別のことで締めますが、こっちの友人が

「カラオケで大声だすとストレス解消になる」

っていってたのがどうも同意でけねぇ。

全然ストレスがとばねぇ。

って感じてて、どうしてかずっと考えていたのですが、これは当たり前のことでした。

だって大学の4年間、同輩ともども毎日のように体の底から絞りだすように大声で叫んでたじゃないか。

人生であれだけの長期間大声で、しかも全身全霊で声を張り上げた時期なんてないです。

「全身全霊」って今言いました。

この言葉を身をもって感じる、「今私はあらん限りの力をふりしぼってるんだ!」と感じたことがある人がどれくらいいることやら知れません。

自分が怒鳴り声をどれくらい出せるか。

自分の怒鳴り声が自分でどう聞こえるか。

他人にどう聞こえるか。

どこまで、聞こえるか。

それをあの弓道部の人間ほど、リアルに自覚した人間がどれくらいいるでしょうか。

これは同輩はみな同意するだろうと思います。

あれに比べれば、カラオケで声を出すなんて声量的にも自分的にも、全然たいしたことじゃないです。

だって必死じゃないじゃんすか。

だからいくらカラオケごときで叫んだところで、ストレスなんか飛ぶはずもないわけです。

安土に向かって叫んでてもストレスなんか飛んだことがない私です。むしろ溜まる。

声を出すことが自身の内部をきれいさっぱり清涼にするなんていう定義が私の中では成り立たない。だからすっきりなんてしないんだ。

と思いあたって「すっきり」しました。

これはすっきりじゃないなぁ。

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2009年7月29日 (水)

君の視線の先に、何があるのでしょう。その細い足だけを頼みにして、探しておいで?

生きてました。

どうやらマムシじゃなくてケムシの方だったようです。

例によって嘘ですが。たぶんモスキートな奴あたりでしょう。

そろそろ帰る日時を考えなくてはいけませんな。例によって長くは帰らないけど。

人間最期は永きに渡って還るわけですから、今焦って還るのも詮なき話でしょう。

しかし地元の知り合いに結婚しているのが多すぎて、誰が結婚しているのかわからなくなっていたのには我ながら驚きました。

だからなんだか「宴会やり升。」というお誘いが来ても「なんの?同窓会?」という表情をしてしまいました。

いや拒否はしてない。忘れてただけですよ。それも最低だがし。

しかしみなさん世帯主になられて、ほんとうに立派になられました。

庭には土の部分とコンクリートの部分がありますが、この後者エリアへウッドデッキを設立し、そこで天気のいい日にのつそつできるようにしよう、という計画を親が立てているそうです。

だからホームセンターからキットをいろいろと担ぎ込んできたらしく、それを手伝う羽目になります。

それをやるなら、まずは汚れ法大の天井を掃除せねばなるまいて。

マとりあえずいつ還りますかネ。

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2009年7月27日 (月)

STOP GIRL,「嫌だ」といっても、愛してやるさ

古本屋で最近いろいろなものをネット注文して手に入れました。

といっても日本建築関係(大工)の歴史的なものがひとつ、あと旧ソ連の内部構造、KGBの内部構造を掘り下げた極めて古い書が数冊です・・・・。

こうやって数少ない専門分野に特化して、著書を読み、情報をあつめ、頭にインプットしていくのもいいですが、やはりいろいろなものに手を出すべきだなぁ、とやはり思います。

二兎を追うもの・・・といったことのわざもあります。

でも色々知ることは先々の勉強になることは間違いないです。

むしろ二兎を追うもの・・・だな、とかいってまったく冒険しないのも結構な問題です。

近年ではジェネラリストとかいって、数多くの分野に触手を伸ばし、そのそれぞれに精通している人間が理想だそうです。

マ私なぞは社会的に理想的な人間には到底なれそうもない器であることは自認しておるわけですが、まずはせめて専門分野ひとつくらいはもっておきたい。

他の人に、あいつはアレに関してはうるさいと言われるくらいにはなっておきたい、というところでして、実際に後輩が私の同輩に、

「ぬけ作の前でスパイ・アーミー関連の話はするな。うるさいから」

といわれた、と教えてくれました。

マとりあえず詳しい分野はもっとこうというノリで、こんな本を集めたりなんだりとしておるわけです。

マミーハーに過ぎないのはわかっております、結局は二次創作を暗記するほど読んでいるだけで、ホンモノをみていないのですから。

とりあえずは、のんびりとやっていきますとも。

実は5日前にマムシに咬まれた疑いがありまして、なんだか普通は咬まれてから5日目くらいに死ぬらしいです。

しかし別段痛くもないし麻痺もなし、雨の日頭痛はするなれど、それは毎度のことなれば、やはり咬み傷と見えたは虫さされか?というところでして。

それでも、やはり「イキガミ」じゃないですが、「明日死ぬとしたら?」と考えないでもないので、注文してから届いた古本を見て瞑想にふけってみたわけです。

マ、さよなら。

死んだら明日もナニカシラ書きます。

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2009年7月21日 (火)

今の言葉をもう一度、聴かせてほしい。君の目に映ること、手に触れるもの、胸の震えを。

研究室にいた人間とノリで、エヴァを観にいってしまいました。

正直私は高校の時分、友人から借りた漫画のみ(しかもシンジ君が液体になるところまで)の知識しかなく、いわば半バージンでした。

でもなんだかんだ「序」はテレビのやつを拾い拾いみたので、ちょうどよかったといえばよかった。

結構、ずっと集中できてよかったです。

なんとアス・・・ってネタバレはいけないのでしたな。

でも複数回みる人の気持ちがわかる気がします。

まさに「新世紀」ですものね。

You are not alone って。

長年のファンがつくワケですよ。

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2009年7月12日 (日)

「くだらねぇ」とつぶやいて、冷めたツラして歩く

アンパ○マン と ざんねんマン その3

ジャム翁が最上階で沈思黙考し、アンパ○マンと、カレーを「調理」して痩身となったカ○ーパンマンが帰途についたころ、食パ○マンはジャム翁の2階くだって位置する自室のデスクで、自身の「守役」から報告を受けているところであった。

メ「いいですか?

正直わが防諜部を動員して、管理官の色恋ザタまで面倒みるなんてゴメンですよ」

食パ○マンに皮肉をぶっとばした、このまぶしいほどの金色したセミ・ショートヘアにグリーンのスーツという格好の女性スタッフ、メロンパ○ナはこの組織の防諜部に所属する、まだ若いが極めて有能な諜報員である。

若干20代にして、工作部門担当副管理官・食パ○マンの日常身辺警護にあたるグループに属していることからも、彼女がいかに優秀であるかがわかるだろう。

むろん組織に所属してまだ日が浅く実戦経験も乏しいので、警護活動中は車内において後方支援にまわっている(本人は、ほかのオトコどもに実戦でもヒケはとらない、と主張してやまない)。

「色恋ザタ」というのは、赤い格好をした不審な女が数カ月前から食パ○マンをつけまわしていることが報告されたことを指す。

現場の工作員上がりである食パ○マンはすぐ尾行に気づいたが、この尾行者の正体はわからないにしろ、まだそう危険な存在ではないとは考えていた。

だがとりあえず、防諜部に調査を指示したのである。

そこで、おむ○びマン率いる防諜部はその女に気づかれぬよう、しかし迅速に、監視の網をかぶせた。

防諜部の撮影した顔写真をもとに組織のメイン・データベースは、その挙動不審な赤女がバ○キンマンの側近であるド○ン嬢であることを突き止めた。

その日から食パ○マン、そしてその「赤い金魚のフン」の周囲を、さまざまな変装をしたメロンパ○ナら防諜部スタッフがすっぽり囲み、完璧な監視体制をしくことになった。

ド○ンが菌類スパイと接触をするかもしれないからである。

防諜部は、国内における敵国スパイの活動を監視・摘発することを主務とする。

そのため警察との間でナワバリ争いに関するイザコザが絶えないが、こと防諜関係に特化すると、両者の優劣の差には霊験あらたかなものがあった。

組織の歴史を考えれば、それは当然である。

戦時中に日本軍内に創設された情報機関の後継組織が、このアンパ○マンらの組織である(便宜上、Bと呼ぶ)。

その中で敵国スパイの浸透防止を担当する防諜部は、その任務の特異性、また在来スタッフの特殊能力ゆえに、組織が再編された際も部局がほぼそのまま新組織へ移管された。

戦前から現在までずっと、リヒァルト・ゾルゲなどに代表される様々な「モグラ」を相手に「影の戦い」に明け暮れてきた彼らは、まさに組織の中でも異能のプロフェッショナル集団である。

警察との間に知識・経験の差があるのは理の当然であろう。

現在、日本国内における浸透工作員の監視・摘発において、B・防諜部の右に出るものはいない。

そんなプロを動員しての調査の結果、ド○ン嬢は単にストーカーのまねごとをしていただけときた。

メロンパ○ナは定時報告と兼ねて、この事実を報告しにきたのである。

彼女は腕組みをした。

メ「あんな目立つ真っ赤っかな色してスパイ行為なんて、おかしいと思いましたよ。

単なる追っかけじゃないですか!」

食パ○マンは思わず苦笑した。

食「実際追っかけてたじゃないか。

じゃ、明日から私は“集団下校”しなくていいわけだ」

メロンパ○ナは、はぁ、とタメ息をつくと、報告書をファイルに綴じて

「いーえ、あのアカ女がいつ“クロ”に変わるかわかったもんじゃないんですから。

もう少し私たちの“輪”の中で行動してもらいます。

いっときますけど、ボスの指示ですからね。

したがってください、ね」

Bは敗戦後に軍部時代の組織とは性格も仕組みも内部構造もすべて一新して現在にいたるのだが、その際イギリスの諜報機関SISを参考にしており、そのためさまざまなシステムやその他の要素がSISと似ている。

たとえばBの活動予算は、それという名目がついて下りてくるわけではなく、外務省や厚労省など他のさまざまな省の予算の中に「その他」などの名前で、紛れ込まされている。

いざ国が「予算をださんぞ」と脅しをかけても、効果がないわけだ。

だがそれらの省との間に、友好な関係を構築しておく必要がある。

そして、この食パ○マンとミス・防諜部との間に見られる親しげな様子もまた、SISに共通するものである。

Bのスタッフはみなお互い、信頼しあっている。

彼らのやりとりは一見、慣れ合いともとれなくもないが、お互い「どういうとき、どうふるまうか」をしっかり心得ている。

この信頼関係は、組織のモチベーションの1つといえる。

だがこの信頼がクセ者となる場合もある。

相手が敵国に寝返っていた場合、信頼をおきすぎてその人間がスパイであると疑うことができなくなる可能性があるからである。

とくに防諜部の人間の仕事は「疑うこと」であるから、彼らはたいへん難しい立場にいることになる。

だから防諜部は、他のセクションと同じく並大抵の精神力をもつ人間では到底やっていけない職務といえる。

食「わかった、わかった。

おむすびのボスによろしくいっといてくれ。

もういいかな、メル?」

防諜部の若きスタッフは、すこしむくれた顔つきでうなずいた。

体が他の女性スタッフにくらべ小柄なために、よく子供扱いされる。

だが小さい体に反して、部内における存在は大きく、やることも多い。

そうだ、ロシアに亡命した元イギリス工作員、N.K.SACKのこっちでの行動痕跡をチェックしなくちゃ。

彼女は急いで空中廊下でつながった別棟の奥にある防諜部へ引き返した。

ようやくメロンパ○ナをオフィスから追い出して、食パ○マンは壁の時計をみた。

もうすこししたら、アンパ○マンが帰ってきてデスクを見、

「すぐ出頭すべし」

というメモを目にして舌打ちをし、こちらへ来るはずである。

食パ○マンは若いころこの組織にリクルートされてすぐ、ソ連担当工作部に所属になった。

それは彼が同期の中でも飛びぬけて「できるやつ」であったことを示す。

ちょうどKGBが当時の国防相ドミートリ・ヤゾフその他と組んで、ゴルバチョフに対してクーデターを起こす数年前であった。

ソ連内にいるBのスパイから、「ヤツェネヴォ(KGB)が政治局に対し、何かやらかそうとしているらしい」という情報も数多く寄せられ、永田町へより確実な情報を上げるために、若き食パ○マンは情報源と会いにモスクワへ潜入した。

そこでの2年間にもおよぶ滞在期間中、彼はさまざまな作戦を駆使して熾烈な情報戦を繰り広げた。

Bの工作員2人、情報源1人が消された。

むろんKGBの被害も甚大なものとなった。

相手は防諜をつかさどるKGB第二管理総局の、1工作管理官だった。

彼は「相当の切れ者」であるらしいという噂以外、顔も暗号名もまったく不明という男で、亡命してきたスパイから引き出した「ウラディーミル」という名前のみがわかっていた。

食パ○マンたちはその謎のスパイの兄貴分を「ウラド」と呼び、戦いつづけた。

だが食パ○マンは一度だけその男の顔をチラリとみる機会を得、彼は脳裏にその顔を焼きつけた。

だが「ウラド」に関する情報はKGB内でも極秘中の極秘であり、ついにモスクワにいるうちは正体をつかむことはできなかった。

そうこうしているうちにクーデターは失敗し、KGBは解体され、ついにソ連は崩壊した。

食パ○マンは本国へ召還され、そこで彼を待っていたのは祝福のシャンパンと昇進であった。

そうして10数年たったある日、彼はオフィスでテレビのニュースをつけた瞬間、思わず凍りついた。

彼が人目みてから1日たりとも忘れたことがなかった顔が、相変わらず凍りついたような眼と凍りついたような笑みをうかべ、演説台の上に立っていた。

彼はその時、「ロシアで最も影響力がある人物」、そして「最も恐れられる人物」となっており、西側諸国は彼に「凍りの微笑」というあだ名をつけた。

ソ連デスクでキャリアを積み、現在の地位を築いたBの誇るベテランのスパイ、食パ○マンが、旧ソ連の元・第二管理総局・工作管理官「ウラド」こと、ロシア大統領ウラディーミル・ウラディミロヴィッチ・プー○ンの顔を見たのは、これが2度目であった。

つづく

※フィクションですよ!

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2009年7月 5日 (日)

あぁお前の宇宙に、おぉ俺も入れてくれ

最近のホットペッパーのCM、流れたら絶対みちゃうよネ。

戸田エリカのカップヌードルCMの次くらいにみちゃうよネ。

別にオヤジじゃねーよ。

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2009年7月 3日 (金)

鉄砲も兵隊も政治家さえも、いらないよ。君たちが望むのは、自由だけでいいよ。

少しく小休止を見たので、かねてから作りたかったものの、まずは第一弾を作って見ました。

Cimg0014_3

1920年代を代表するロシア構成主義の建築家による、さまざまなアイディアはただみているだけで美しい。

鉄骨やコンクリートのもつ美しさが、ありありと表現されているからです。

それを用いて、Tシャツを作ろうカナとかねがね考えていたのです。

ブルハTシャツは以前つくったけれどね。

昔からCDジャケットを作ってみたり、歌詞カードを作ってみたりするのが数奇だったのですが、今回はロシア構成主義に特化して、一連のものを製作してみたいと思いました。

マ製作っていっても、どこかの専門書からカッコイイ柄を持ってきて、プリント転写するだけですが。

さてこれは以前語った、当時の建築家を代表する不遇の天才、イワン・イリイチ・レオニドフの有名な設計競技案、「重工業省コンペ案」です。

もちろん実現はしてませんし、このコンペ自体もいろいろとあり、一等さえ発表されなかったという話です。

それでもレオニドフの才能が最大限に発揮されたものといわれる。

写真じゃなく、スケッチですからすごい。

横の文字は私がフォトショで入れました。ロシア語で彼のフルネームを入れました。

結構気に入ってます。

やはりこのデザインの良さが分かる人にはわかるようで、着ていったら3人くらいから

「お、それなに」

といわれました。

彼の語ったといわれる言葉で、ひときわ印象に残っている言葉があります。

彼は

「人間は自然を征服するのでなく、それに身をゆだねることによって生きていくべき」

という理念をもっておりました。

環境問題を考えると、それは現代にも適応しうる考えかと思いますが。

快適に過ごすにはもはや自然を抑制して改造して、極限まで住みよいようにしてしまうのが現代です。

レオニドフはそれを「贅沢」と呼ぶ。

「自然と共生していくには、我々は贅沢を禁じて不便に慣れるような生活スタイルを考えなくてはいけない」

そういった考えを持ちつつ、彼は高等芸術学校「ヴフテマス」の教職についてからだったと思いますが、「マグニトゴルスクの都市計画案」を製作。

詳しいことはよくわかりませんが、その案をみるとどうも屋根などがない、ちょっと普通に生活するにはどうだろう?という箇所などもみえる。

それである人がレオニドフに質問をしました。

「雨が降ったらどうするんだ、イワン・イリイチ?」

すると彼はこう応じたといわれています。

「傘をさすか、ちょっと濡れればいい」

なんの変哲もない言葉、マ当たり前だという言葉であり、なんともファンタジックな言葉ですが、私にはなぜか、これが強く頭に残ります。

私もロマンチストだからかしら。

雨がふる?そんなのは大した問題じゃないんだ。

道も濡れる。

壁も床も、何もかも濡れる。

でも草木だって、濡れる。

人間も濡れればいいじゃないか。

という感じで言った・・・わけではないでしょうが、なんとなく響きがファンタジカルで奇でした。

でも別の見方をすれば、こういった自己を極限まで追い詰めるハイパー・ストイックな考え方の中に、以前書いたKGBや戦闘機デザインなどの議論にも通じる

「機械≒人間」

という、当時を象徴する考え方が隠れているようにも思える。

まぁそんなたわ言はどうでもいいですが、これは成功でした。

他のも時間をみて作っていこうと思います。

たまにはこういうことをしないと息抜きになりません。

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空前絶後。前人未到。そんな風な生き方は、楽しいだろう?

先日は旅順を規則正しく構築して、私が奈良で、京都で、そして長崎においてしっかり消化したルートどおりの記録を上げようなどということを申しましたが、やはり散華のごとくバラバラと、旅の記憶をアップロードしてしまいます。

私の徹夜した翌日は必ずといっていいほど、お天道様が初めてを成し遂げた男児の翌朝のように生き生きキラキラとして、我をとろかすごとく燦々としておるのが通常でした。

そうでなかったのは卒論の発表前日だけです。

さてそのごとく向こうではお寺の周辺は無論、うっそうとした木々が茂って外界との間に結界を形成、人の声と視線と煩悩を締め出していて、涼然とした空気によって快適なのですが、境内から一歩でると

とける!とける!

とよろめくほどの凶光でした。

湿気もつよい。

梅雨がせまっているのです。

しかし四季日本の性格として、梅雨を知らせるものは体感温度、湿度だけでは有りません。

ことのわざから虫の知らせという語もありますれば、大自然もまさにその荷を担っているわけです。

そういった感情に加え、

「え?このカメラでこんな撮れるんだ!」

という新発見があった、ということで、さきにこんなものをのっけてみるわけです。

1

これ、きれいじゃないですか?

もう自分で吃驚でした。

もう夏がこっちに来たがってる、ということでその象徴たる真っ青な紫陽花をみつけ、またそこへ偶然ネコとかアゲハに比べて、肝が据わっているとみえるあぶさんがやってきて食事をするので、少しくカメラを向けてみたら、偶然とはいえこんなにきれいに撮れました。

このカメラ、こんなにできるのか、人も物もあまり馬鹿にするもんぢゃないナ、と感じました。

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